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大変ご無沙汰しております。様々なことが起こってバタバタとしておりましたが、やっとのんびりとした週末を迎えることができました。ローマは何故か週末になると天候が悪くなるという悪循環ですが、平日は割と暖かい日が続いていたのと、ゴールデンウィークに日本に帰った時に衝動買いした、シャンソン歌手の石井好子(故)さんのパリ仕込みお料理ノート (文春文庫)という本に影響されて、突然ヴィシソワーズスープを作ってみたら、ギャフンというほど美味しかったのでご紹介です。上のYoutubeのリンクのレシピ(勝手にリンクさせていただきました、素敵な映像ありがとうございます)だと本格的にできそうですが、私は石井さんのレシピでやってみました。石井好子さんといえば肝っ玉母ちゃんみたいな迫力の中に垣間見えるお育ちの良さのような魅力があるイメージですが、文章力というか、彼女の文章がもつ説得力に驚きました。多分ものすごく好ましい意味での食いしん坊な方だったと思われます。私は男女問わずもりもり食べる方が大好きで、もちろんダイエットなどする方が多いのは知っていますが、食べる時くらいダイエットの話はしないでいてほしいと思うタイプなので、さらに好ましくこの本を読ませていただきました。

ヴィシソワーズのくだりでは石井さんは彼女なりのレシピと、ビーツを入れた「可愛らしくてしゃれている」と表現したピンクヴィシスワーズを紹介した後、最後に「このようなスープを作りはじめたなら、なぜ今まで作らなかったのかと、とても残念に思われることだろう。」とまとめておられてその説得力にそのまま彼女のレシピであるセロリ、ネギ、玉ねぎ、じゃがいもをみじん切りしました。夏らしく、簡単なのに、見た目も良くてバターの香りも良く、自分の好きな味(チキン、野菜、コンソメ、牛、などのいろいろなストック)に合わせられる手軽さが良いですね。セロリバージョン美味しかったです。

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Copenhagenもうすっかりローマに帰って来ていつも通りの生活に戻っている私ですが、気持ちは主人と両親と旅行の思い出にひたっています。写真で分かるようにコペンハーゲンでは例に漏れずちゃんとザリトルマーメイド見てきました。でもお分かりのように、ちゃんとその場所までバスでせっせと行って見てきました。前日にちゃんとボートから背中を見たにもかかわらず、です。ボートからだと背中しか見えないというのが、なんとなく顔を見たいと思わせる憎い演出な気もしてきますよね。

このコペンハーゲンのザリトルマーメイドは日本人観光客をがっかりさせる世界3つのうちのひとつだそうですが、別にがっかりしませんでした。これだけをみるために、結構ステキな水辺の公園をしっかり歩くし、ワイワイしていて路上パフォーマーもいたりするし、お土産屋さんもそんなにいっぱいいるわけじゃないのでいい感じですごくタッキーなお土産(人魚姫のマグネットとか!)を買えるし、そんなにぼったくりでもありません。まあ、世界3大がっかり,と言われてから行くとそんなにがっかりしない、という心理的なものかもしれませんね。

それでどうやらほかの2つはブリュッセルの小便小僧(マネキンピス)とシンガポールのマーライオンということになっているらしいですが、クリックしたら分かるように私もブリュッセルはがっかり制覇したので(別にがっかりしませんでした。私のフリッカーのコンタクトになっている方なら見えるこの写真で分かるように、ものすごく嬉しそうです、見えない方ごめんなさい)、どうやらリーチがかかって次はシンガポールか!という気分になってきました。不思議なものですね。

コペンハーゲンですが、予想通り物価が異常に高くて倒れそうになりました。例を出すと一杯のスタバのトールラテが800円以上。空港のペットボトルのお水は空港価格を考えたとしても高すぎる500円以上。日本の倍と思ってもいいかもしれません。これがほとんど税金ということです。北欧の社会保障が進んでいるという話は日本でも議論になりますが、こうしてベースとなる物価、お給料、すべてがこの税金を払っても大丈夫なくらいしっかりしていないとなかなか難しいんでしょうね。でも同じく社会保障が進んでいるというフィンランドの物価はそこまで高くないです。日本と同じくらいかな、というイメージです。でも人口が全く違います。ニーズも違うし、なかなかいきなり日本が北欧を真似するのは難しいかもしれませんね。

さて私にとってこの夏は読書の夏でした。久しぶりにたくさんの本を読みました。私の嗜好から高尚な本はなかなか読めないのですが、たくさん読んだ本の中で唯一、ちょっと高尚だったかもしれないと思えるエリザベスストラウトの短編集がすごく良かったのでご紹介です。「オリーヴ・キタリッジの生活」。珍しく日本語翻訳板を読みました。原題は彼女の名前だけの「オリーヴキタリッジ」。最近専らiPadで本を読む習慣がついたし(電子書籍が主流になると世間で言われ始めてから結構時間がかかり、現に私の最初のeBookについてのエントリは2000年だったので13年以上かかりましたが、やっと去年くらいからついに電子書籍が私の中での読書の主流になりました)、本屋さんでしっかり時間をかけて本を買うことがなくなってしまった私は、本屋に行く機会があるとつい、見さかいも無くいろいろたくさん買ってしまいます。これもそのひとつ。短編集でひとつひとつが独立しているとはいえオリーヴさんが超主人公ともいえます。表紙のの絵が非常に忠実な現代アメリカの朝食後を見せていて、不思議と懐かしい気分になったので、いわゆるジャケ買いです。オリーヴさん、最初は好きになれるか心配でしたが好きになりました。私にとってオリーヴといえばポパイの彼女ですが、あのオリーヴさんとは全く逆といっていい性格。なのに憎めないのはなぜ。

ローマももう秋を迎える準備ができているように見えます。9月の出張をひとつ終えたらしばらくローマにいる予定なので、ローマの秋を楽しもうと思います。

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Bridget Jones: Mad About the Boy

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bjmatb.jpgBridget Jones: Mad About the Boy (Helen Fielding)

まずiBooksのセールで出版直後にダウンロードして2時間で一気読みしたあと、今度はゆっくりと少しずつ毎日読んでいたんですが、昨日やっと感想が書けるような気持ちになりました。いろんな人がいろんな感想を書いていて、やっぱりシリーズ物の久しぶりバージョンだとこうなるのか、と思うくらいに悪いリビューもあったりするんですが、私は一言で言えば好きでした、51歳のブリジット。

とりあえずかなり笑えます。3ページに1回くらいのかなりの頻度で声を出して笑う部分があります。非常に下品な笑いもあります。私にもTee Heeって笑う友達がいるのですごく分かりやすいgiggleです。ふいに涙がでるところもあります。伏線も盛り上がりもなく、たったの2行で泣かせるなんてすごいと思ってしまいます。78kgから60kgへのダイエットもあります(グラフ付き)。その人を殺しちゃだめでしょ、と思うところもあります。その人をそんな病気にしちゃだめでしょ、というところもあります。ウィットに富んだツイッターがすごいです。Toy boyとの2度目の別れがものすごく説得力があります。ブリジットぜんぜん成長してないのはこの話の流れからおかしいでしょう、と思うところもあります。でも最終的には伏兵(でもなかったけど)が飛び出して納得の終わりです。あっという間に読めるけど、読み応えありです。

私ももしこれからこの本をしまっておいて(クラウドに)、そして50歳過ぎてから改めて読んでみたら、他のアマゾンのリビューワーみたいに「50過ぎてまだこんなことやってるなんて人として魅力がないわ」とか真面目に思っちゃったりするんでしょうか。興味津々です。和訳でどのくらいこのブリティッシュジョークの真っ黒さが伝わるか、日本語版にも興味津々です。

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チーズと塩と豆と

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チーズと塩と豆と(井上 荒野・江國 香織・角田 光代・森 絵都)

この本は女流直木賞作家4名の短編集ですが、その中でも私が特に感想を書いて残しておきたいのは、角田光代さんの「神様の庭」。本の帯の「愛と胃袋、直木賞作家が食べて書くヨーロッパの田舎」という一文に含まれる「食べて」と「ヨーロッパ」という2つのキーワードにつられて軽い気持ちで買ったのですが、東京の姉の家を訪ねる電車の中でうっかり読み始めてしまい、読みながらこらえてもこらえても、ひたすらとにかくこみ上げてくる嗚咽となんともいえない感情に、何度も本を閉じて深呼吸をしなければいけないほどでした。50ページ弱のただでさえ1ページの文字数の少ない短編なのにこの読み応え。角田さん天才だと思います。感動しました。

日本人ではない登場人物と完璧にも日本ではない設定の物語なのに、限りなく深い何かを共有した気分がしました。「古い」家族とのすれ違い、時代と世代の違い、これらは世界共通、言葉も文化も時間も場所もなにもかも超えて、誰でもどこでもいつでも多かれ少なかれ経験することなのでしょう。アイノアのお父さんがバルセロナでの夕食のあと「こんなひどい店ばかりなのか」と言ったとき、その言葉そのものも、その先に起こることも、全部私がすでに経験したことだったと感じるような不思議な錯覚にとらわれて、正直びっくりしました。

私は幸運にも「食」に密接にかかわる仕事をしていることから、「食」が持つさまざまな意味を考えるチャンスがたくさんあります。先日イタリアの農家のおくさんに優しく「ローマではいつもひとりで食事をしているの?」と聞かれたことや、「ときどき、不思議と、日本にいる家族と、平凡な夕食をただもくもくと食べている食卓の夢をみることがあるのよ」と言ったパリで働く女性の話なんかが、またこの本を読みながらわーっと私を襲って来て本当に涙を表面張力でキープするのに困りました。

ところで、先日パルマの学会で知り合ったオーストリアの政府の食品安全技官の若い女性と頷き合って合意に達したのが、「正しい食生活」や「ナチュラルな食事」、「体にいい食べ物」や「ヘルシーな食品」などという話を始める人がいたら、その人が本当に栄養学を包括的に勉強したかどうかチェックするべきだ、ということ。彼女は今ウィーンで急激に増えている拒食症のカウンセリングを任せられたことがあるということをはなしてくれて「結局私が10年以上努力して勉強した栄養学は、拒食症の人が抱えている問題の核心に触れることすらできないのよ」と言いました。私も深く同意して「私もアメリカで超肥満の人のカウンセリングをホスピスでやったことがあるけれど、全く同じことを考えた」と言いました。もちろん、栄養学は「技術的」な「解決策」を提供するときに不可欠ではあるけれど、「なぜ拒食症・超肥満になったのか」「どうやって治すのか」という根本的な解決には「技術的な知識」は往々にして無力だったりするのです。当たり前すぎることを書くようで非常に恐縮だし、誤解をおそれずに書きますが、こういうときカウンセリングする立場にある「栄養学の専門家」の人に本当に必要なのは「包容力のある優しさ」「理解、あるいは理解しようとする本気の心」とともに、「栄養学だけでは解決できない」という認識なのです。そしてこう書くと、話がまるで360度戻るようですが、その優しさ、理解、認識を自分のものとするためには、結局、栄養学を包括的に学ぶことが必要なのです。

そして栄養学を包括的に学ぶと、何故か、いかに家族というもの(あるいは家族に近い人々)が大事かが分かってきます。そして、その人たちと笑いながら、楽しみながら、時にはケンカしたり泣いたりしながら、一緒に食事をすることが、どうしてそんなに大事なのかが分かってくるのです。

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51XFHk7aQRL._SL100_.jpg小さいおうち(中島京子)

久しぶりにブログを更新してます。9月の10日から熊本の両親が遊びに来てくれていたのと、そのあと主人のAさんも合流してくれてすっかりちょっと遅めのバケーションを楽しんでいたのでインターネットから遠ざかっていました。日本からAさんが「ハイ、直木賞受賞の本。読みたかったんでしょ」とこの本を持ってきてくれました。すごく嬉しかったのでゆっくり楽しみながら読もうと思っていたのに、Aさんが日本に帰る前に読みおえてしまってちょっともったいなかったかな、と思っています。

本は構成が斬新といえば斬新だし、著者はものすごい量のリサーチをしてこの本を書いたんだろうなと思えるものなので、とにかくそのことに感激します。主人公のタキさんは、大正生まれの私の祖母とはなにもかもが全然違うんですが、それでも、この本を読んでいると私の祖母のことを思い出さずにいられないというのがその「時代」というものの存在の大きさでしょうか。私の祖母は当時の女性にしてみるとものすごくクールな性格で「現実主義」という言葉がしっくりくるタイプなので、この本に書かれているようなモガのような華やかな世界とは遠いところにいる人です。昭和一桁のころに女学校で教育勅語が異常にうやうやしく扱われ、直視してはいけないと全員うつむき目をつぶっていたところを「私は薄目を開けてみてたけどね。紫色の風呂敷につつまれててありがたそうだったけど、良く見たら普通の綴じ本だったよ」としゃあしゃあと言ったことがあるくらい。

脱線しますが、教育勅語って実は今の時代にこそ必要なものじゃないかとふと思うことがありますね。

親に孝養をつくそう(孝行)
兄弟・姉妹は仲良くしよう(友愛)
夫婦はいつも仲むつまじくしよう(夫婦の和)
友だちはお互いに信じあって付き合おう(朋友の信)
自分の言動をつつしもう(謙遜)
広く全ての人に愛の手をさしのべよう(博愛)
勉学に励み職業を身につけよう(修業習学)
知識を養い才能を伸ばそう(知能啓発)
人格の向上につとめよう(徳器成就)
広く世の人々や社会のためになる仕事に励もう(公益世務)
法律や規則を守り社会の秩序に従おう(遵法)
正しい勇気をもって国のため真心を尽くそう(義勇)

そういえば久しぶりに両親と濃密な日々を過ごしたためか、これからの日本は何に力を入れるべきかなんていう壮大なテーマまで話したりしてすごかったんですが、受験勉強のための「教育」やカルチャースクールのような「教育」ではなく、この勅語のような「教育」が大事なのかもしれませんね。

いやこんなことは本の内容とは全く関係ありません。すっかり脱線してしまいました。本を読みながら私が胸を突かれたのはもっと違う部分だったはずなので今度またゆっくり感想を書き足したいと思います。

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休暇で一週間日本に帰って来ています。

パリで悔しい思いをしたので、旦那さんのAさんに「行く?」と聞いたら「行きたいと思っていた」というので、先日の3連休の中日に早起きして国立新美術館のオルセー美術館展に、結局行ってきました。連休だしものすごく混んだりするんじゃないかと思って開場が10時なので9時15分頃到着してみたら、すでに長蛇の列。と思いきや、特に待ち時間はなく、9時半に早めに開場してくれて5分後には私たちはモネの庭の蓮やタヒチの女たちを至近距離で眺めていたのでした。

1時間ほどゆっくり見て回って、例の「星降る夜(Starry Night)」もしっかり見て(北斗七星もしっかり数えて)展示場の最後の売店で「生まれ変わるオルセー美術館」の特集をしていた雑誌、芸術新潮を購入したあとロビーに出たら、ロビーはひどいことになっていました。でもこれでも待ち時間は1時間と表示されていたので、わりときちんとしたシステムで順次入れているということなのでしょう。さすが日本。ローマではありえません(そもそも観光客以外はこんなに並ばない)。

上の写真は美術館を出てからお約束な感じで、この賛否両論な建物の外観を撮ってみました。この超近代的な曲線に圧倒されるし、なにか強い意志のようなものを感じるので私はかなり好きなんですが、Aさんは黒川紀章氏は内装をコンクリート打ちっぱなしにしすぎ、といってあまり内装は好きじゃないようです。美術品を飾るには主張が少なくていい気がするんですけどね。

こうしてポスト印象派の絵画を見て、黒いふちどりが特徴的でかつちょっと乱暴で破壊的なゴーギャンをまたしみじみと見たので、そのあとふと思い立ってモームの「月と六ペンス」を読み直しました。私の母は、小学生であった私と、中学1年生くらいだった私の姉にこの本を買い与えたのですが(その他のモームの作品と共に)、今読み返せば読み返すほど、当時の私たちが理解できたわけのない意味の深い文章が並んでいます。たとえば「人間はこの世でそれぞれ孤独である。人間は鉄の塔の中に閉じ込められていて、他の人間とは符号によってしか交流できない。ところが、符号は人間同士共通の意味を伝えないので、その意味はあいまいで不確かである。人は心の中の大切な物を他者に伝えようと苦闘するが、他人は受け取れるだけの力を持たない。」や「恋愛における男女の差異は、女は一日中愛していられるが、男はときどきしか愛せない、ということである。」など。

でも、最後のロンドンでのストリックランド夫人とのやりとりと、アタとその息子を思い浮かべて"God blesses those who are poor and realize their need for him, for the Kingdom of Heaven is theirs"とマタイ5-3を引用したくなったという「僕」のくだりはいつ読んでも心をつかまれる思いです。謙虚であることや無知の知のようないわゆるありきたりの教えではなく、(文明社会の)人間というのはもともとイグノラントで驕りのあるものであり、それを失うための唯一の方法は最初からもたないことである、というような救いのない感覚を覚えます。私は幼稚園で母から持たされたプラスチックのコップを運悪く割ってしまった(というよりヒビ割れさせてしまった)ことがあるのですが、泣きながら家にそのコップを持って帰った私に母が、「割れちゃったね、困ったね、でも仕方ないね」というので「どうやったら元に戻るの?」と聞いたことがあります。母はこれを覚えているか分かりませんが、そのとき「割れたコップを元通りにする一番いい方法は、最初から割らないことよ」と言いました。真実であり、納得のいかない答えでもありますが、結局はそういうことなのだと思います。文明社会で、もはや生まれながらに謙虚でいることができない私達は、月だけを追うことはできないのでしょう(ゴーギャンやこの作品中のストリックランドは一般的な「謙虚」とはかけはなれた意味で、月を追うことができたようですが)。だからといって六ペンスだけに生きることもできない。月と六ペンスのバランスを自分なりにどう工夫するかが大事なようです。

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読書メモ

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本当にどうでもいいんですが、午後の韓流のFantastic Coupleがちょっと面白いなと思う日々です。韓国の女性キレイですね。って本当にどうでもいいですね。先週と今週に何冊か本をまとめて読んだので書き留めておこうと思って。

家日和」奥田英朗:最後の短編がすごく良かった。私もオーガニックとかロハスアレルギー気味。やってる人はすごいなぁと本当に思うし、エコとかもそうなのに、私があまのじゃくだから?と思って口を閉じていたことをうまいぐあいにぐっと出してもらった感じでちょっと感動しました。

食堂かたつむり」小川糸:ベストセラーだったので。かもめ食堂とかぶるのはなぜ。私は泣けなかった。

削除ボーイズ0326」方波見大志:年齢設定に無理があったけど普通に面白かった。狙ってる読者層はたぶん中高生?読書中、伏線が上手すぎて何度も1ページ目に戻るハメになったのも珍しかったけど、それはいいことなのかどうなのかって言われるとうーん、と思いましたが。

1Q84 BOOK 3」村上春樹:1と2は素直に良かったと思ったのに、これは結構微妙な感じがしないでもないけどマーケティング上手だなぁって思った。できれば会えないで欲しかったなぁ。主人のAさんが、「えーっとなんだっけ、ダイゴと大豆の話だっけ」と言ったのがうまいなぁって思ってちょっと思い出し笑いしてしまいます。

ペンギン・ハイウェイ」森見登美彦:面白かった。理系。途中、ん、と思うところがあって、小さなことが壮大な何かのメタファーのような感じでそうじゃない感じもして脳のどこかをぐっと押されたような感覚がある(けど押されたかどうかはわからないかんじ)。太陽の塔も面白い!とおもったけどこういうのも新しい感じで面白いと思ってしまいました。こんな子がいたらちょっとイヤだけど。でもこういう感じで頭脳明晰な素直でいい子なのに、大人から見るとちょっとイヤな感じのコっている!ような気もします。

以上とりいそぎ。

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Dear John

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dearjohn.jpgDear John (Nicholas Sparks)

わりとマッチョな雰囲気のただようアメリカの若い男性作家の文章にしては、内容がかなり女々しすぎる(失礼)イメージがあったので、彼のThe Notebookなどの代表作は映画では見て涙したけれど、本までは読んだことがなかったので、ヘルシンキの空港でたまたま見かけた時に、時間つぶしに読んでみようと思って買ってみました。

非常に簡易な英単語の並ぶ、お世辞にも「文学的」とは言いがたい文章ですが(私、何様でしょうか)、そのおかげかあっという間に読み終えました。読みながらひたすら涙を流し続けたり、時には嗚咽までしたりしなければいけないので人前で読むには大変な本です。誤解を恐れずに書きますが、私個人の読後の感想としては「意外」でした。タイトルの"Dear John"からイメージするのはいわゆる「"Dear John"レター」と一般に言われる、戦場にいるフィアンセにお別れを告げる女性からの手紙だし、これは胸が痛い感じの戦争絡みのお別れの話かと思いきや、実は、父と息子の、家族のお話だったのです。ニコラススパークスといえば男性の目からみた「ロマンス」のお話というイメージだし、実際、このお話もそういうカテゴリーといえばそうだし、大きな枠で言えば「究極の男女の愛情とは」というような、私からしてみたらちょっと微妙に壮大すぎるトピックがメインなので、これを「父と息子」の話だと結論付けてしまうのはちょっとズレているかもしれません。でも私にはそういう風に写った、というだけです。

細かい感想メモはさらに下へ。

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秋のボルゲーゼ公園

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今日は良いお天気に恵まれた土曜日となったので、午前中にちょっと用事を済ませたあと、お気に入りのバール+パスティチェリアでイチゴとカスタードのパイを買って、ブランケットとクッションと本を持ってボルゲーゼ公園にでかけてきました。ボルゲーゼはひたすら芝生の広場が広がっているのですが、美術館近くの噴水のあたりにちょうどフラットになっていてお日様があたっている部分を見つけたので、お気に入りのチェックのブランケットを広げて太陽の下で本を広げました。

おりしも近くの散歩道でサックスの演奏を始めてくれたので思いついてiPod nanoでビデオをとってみたら意外に素敵にできたので(撮影の腕はダメダメですが、ライブ音楽と落ち葉の音がなんだかいいかなと思って)嬉しがりでこうして載せているところです。こうして落ち葉を見ながらいい音楽につつまれて、ギャレリアボルゲーゼのバールで買ってきた温かいコーヒーを飲みながらの読書は本当に幸せな気分。落ち葉をしっかり見るにはフルスクリーンにして(右下のアイコン)見てみてくださいね。

日曜日の明日は雨が降るとの予報が出ているので家でのんびり本の続きを読もうかな。読んでいるのはJonathan Safran FoerのExtremely Loud and Incredibly Closeというわりと斬新なペーパーバックです。

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せっかくパリ滞在だし、しかもにぎやかなレ・アル地区にいるし(最近上司になったフランス人のJMが予約してくれたアパルトマン)ということで、仕事が終わってからチュイルリー公園の目の前にあるアンジェリーナというカフェというかレストラン(正確にはサロン・ド・テ、つまりティーサロン)に行ってきました。といっても日本のみなさんにはおなじみですね。東京にもいくつか支店があります。私のアンジェリーナ初体験は実は名古屋。名古屋に住んでいる友達が先日連れていってくれました。

到着してみると遠くからでもすぐそこがアンジェリーナであることが良くわかりました。というのも結構な行列ができていたから。私はひとりだし、もともと中にはいる予定はなかったので「お持ち帰りができるといいな」という気分だったのですが、ふとみると行列のできている隣のドアにはブティックの文字が。お持ち帰り用のドアがあったのですね。そこで嬉々としてこのモンブランをひとつ注文して大事にアパルトマンまで持ち帰ったのです。見えづらいですが後ろにうつっている小さな箱がお一人様用のお持ち帰り箱。かわいいお店の女の子が、モンブランが崩れないようにていねいにていねいに入れてくれたし、当然のようにスプーンもつけてくれたし紙ナプキンも3枚もくれたしで、「メルシー!」と受け取りながら非常に嬉しいきもちになりました。

ところで全く関係ありませんが、今回このパリ出張の待ち時間などを利用して話題の村上春樹氏の「1Q84」のBook 1と2の両方を読んだのですが、ちょっとどこで見たか忘れてしまったので正確なクォートができなくて申し訳ないのですが、途中で「作家というのは問題解決するのが役目ではなくて問題提起(というよりは、話の流れでは単純に問題を「並べて見せる」といった意味合いだった気がするけど)するのがその本当の役目である」というようなくだりがあって、読み終わったあと、まさにそのとおりの役目だなと深く納得しました。細かいディテイルはいろいろあるにせよ、これだけ多くのバラエティに富んだ読者層のひとりひとりの琴線をターゲットにするためなのか、異常に多くの伏線にちょっと混乱しましたが、それなりに、なんというかいろいろと刺激していただいて嬉しかった、というのが正直な感想でしょうか。いや正直言って面白かったです。私は村上春樹さんの作品が好きというわけでも嫌いというわけでもないのですが、とにかく読んでよかったです。

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Anzioのビーチ

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今年に入ってまだ3回目のビーチですが、今日はAnzioというところに行ってのんびりしてきました。お天気も良く、暑すぎず風もあり、といったところでなかなか気持ちよかったです。

それにしても朝から準備していたときに「ビーチで読もう!」と思っていた、読みかけで続きがすごく気になっている本がなぜか見つからず、読みかけにしていた時には全然どうでもよかったのに一日中その本の続きについて考えてしまいました。未だにみつかりません。もしかしたら旅行に行ったときに飛行機の中に忘れてきてしまったのかも、と思ってちょっとブルーになってしまいます。そして続きが気になる。

そのかわりといっては何ですが、Nick Hornbyのエッセイというか読書記録のThe complete polysyllabic spreeを読みました。単純なる読書記録であって、別にリビューというわけでもなく淡々とした感想というよりは気持ちの流れがつらつらと書いてあります。特に読むのが楽しいだとかそんなことは書いてないのに、時系列になったチャプターのタイトル(例えばMarch 2005、など)の下に箇条書きにされた"Books bought:"のリストの部分をみただけで、ああ、読むのが楽しいんだろうなぁと思えます。リストしたい気分がすごく分かる。野球好きな人がストライクだったりボールだったりセーフだったりアウトだったりすることを全部含めて、ベースボールというものを愛するように、外したりすることを含めて読むことが好きなんだなと思いました。

そしてそんなことを考えながらふと周りをみると、こんなイタリアのビーチ。イタリア人にはときどきいろいろな意味でいっぱいいっぱいにさせられるけど、包括してイタリアはいいところだと思いました。ビーチを出てポートで食べたシーフードレストランもすごく美味しかった(Osteria da Carloというところ)!ローマから40分くらいだったのでまた遊びに来ようと思います。

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A Thousand Splendid Suns

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book coverA Thousand Splendid Suns (Khaled Hosseini)

同じ著者のThe Kite Runnerを読んだ時にその話に感動すると同時にトピックのあまりの重さに胸がしめつけられてしまい、良い評判を聞いていてもなかなかこの本に手が出なかったのですが、今年の誕生日にイタリア人の友達のIに「これすごく良かったよ」と偶然プレゼントしてもらったので、出張中の飛行機の待ち時間に、と思って持ってきました。

だいたい私は出張には2冊の本を持っていき、帰る頃に両方読み終えて最後の空港でまた1冊買ってかえってくるというパターンが多いのですが、今回もそんな感じでこの本の前に1冊読み終えて、ダカールの空港で午前11時の飛行機がキャンセルされて午後3時まで待たされたときにこれを引っ張りだしました。案の定、最初から鈍い重い痛みがコンスタントに続き、ちょっとこのまま読み続けるのは厳しいかもと思いはじめていたチャプター5の最後(ページ35)でガツンとやられ、「こんなことが起こっていいのか!」とあまりの衝撃に思わず一気に最後まで読んでしまいました。もしかしたら、この本のどこかにかならずあるはずの「希望」をずっとずっと読みながら探していたのかもしれません。

確かに重みのある大切で貴重な話だし、これを読んで私の人生で起こった、あるいは起こっている全てのことが全くもって愚痴を言うにふさわしくないことがわかるし、何が大事なのか、人は何をしたいのか、私は何をしたいのか、などというようなシリアスすぎることを考えるきっかけになって人としてかなり成長できる本であることは確かなのですが、なぜか諸手をあげておすすめする気分になれません。

それは今現在も、彼の地で起こっていることが「〜というわけでした」というお話で完結できる状態にないということと、根底に流れるジェンダー問題が、もはや私の理解と想像をはるかに超えていることが原因だと思います。

それでも、「教育」というものが、たとえば方程式の問題を解けるようになることが、たとえば科学の実験をやってみることが、たとえばフランス革命の起こった年を暗記することが、どうして結果的に人を優しくすることに貢献するのか、というのがじんわり分かってきます(いや、そんなことは全く書いてないんですけどね)。そしてどうして優しい人の心は強いのか、どうして弱い人は暴力的なのか、ということも。

そして改めて日本という国にこの時代に生まれた私の最強の幸運に驚かされます。文中にタイタニック(映画)の話が出てきますが、アメリカ留学中にこの映画をのんきに見た自分を思い出して、なんだか説明が難しいのですが、1940年代前半に撮影されたロンドンでのダンスパーティの写真を見た時の衝撃を思い出しました。東京大空襲のころ、欲しがりません、と日本の国民が誓っていたあのころ、イギリス人はこうしてキレイなドレスを着て踊ったりしていたのか、と思った時の違和感。

ぎゅうぎゅうとしめつけられる胸の痛みがつらいのですが、読み終わって、393ページのJalilの手紙を読み始めた時から止まらなかった涙をせっせと拭いて、本を閉じて、ぐいっと自分を現実世界に引き戻してから顔を上げてみて、セネガリーズの青い服を着た若い空港清掃員のひとりが私にむかってにっこりしてくれたとき、文字通り、世界が違って見えました。優しい人になりたいと真剣に心から思いました。

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Chasing Harry Winston

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book coverChasing Harry Winston (Lauren Weisberger)

アムステルダムで買って、飛行機の中に入って1時間以内に読み終えるほどの長さでした。ページターナーと言われるのも分かる、「続きがきになる」タイプの本ですね。この本の中にも出てきますが、いわゆる"Chic Lit"といわれるカテゴリーで、Campany紙が"Sassy, insightful and sooo Sex and the City"というリビューを残しているそのままに、いわゆるその類いの本で、お腹いっぱいといえばいっぱいです。くだらないといえばくだらない。ありえないといえばありえない、といったところでしょうか。この著者も実際美しく自信に満ちあふれた人で、カバーでお分かりでしょうが「プラダを着た悪魔」の著者ですね。共通する点としては「プラダ」のほうでのアレックスと、この本のラッセルがかなりかぶるってとこでしょうか。ラッセルの気持ちになると本当に本気で心が痛みます。時間つぶしにはとても良いけれど、まあこの手の話、今はやってるよね、というところでしょうか。男性が読むと女性に対してがっかりしてしまうかもしれないですね。でもよくよく考えるとニューヨークの女性でもこういう人ばっかりってわけじゃないですよ絶対。普通に地味でちゃんと暮らしていてそれで魅力的な人っていうのもいっぱいいるはず。結論は面白かったけど何も残らない、というところでしょうか。

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Reconciliation

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20080502_reconciliation.jpgReconciliation (Benazir Bhutto)

出張に2冊の本を持っていったのですがDubaiで読み切ってしまったのでフィリピンに行く前に目についたこの本を買いました。あのパキスタンのブット元首相の最後の本です。とりあえず表紙の美しい彼女の写真にまず衝撃を受けます。タイトルはReconciliationでサブタイトルとしてIslam, Democracy, and the Westというのがついていて、多分意識的に仏教や他のアジアの国のことには極力触れないように書いてあるのが印象的です。ちょっと無視されている気すらしますが、それでも彼女の「パキスタンをなんとかしなければ」という強い意志を感じることができてちょっと感動します。イスラムの教えやキリスト教やユダヤ教などを比較しながら、どういうふうに教典や聖書を読み解いて行くかというのが本題なので、ちょっとそのあたりに明るくないと難しい部分も多く、何度も同じ箇所を読み直しながら理解を進めて行きました。が、私はこれを読んだことで過激派の人たちがどんなことを考えているのかが一瞬分かった気がして重い気分にもなりました。感想はさらに下に続きます。

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prest.jpgpshops.jpg

旅行をすると私は自分にミッションを課してひとつひとつこなすことによって楽しもうとしたりするんですけど、貧乏性なんだか真面目な典型的な日本人なんだかわかりませんね。とはいえ、だいたい「絵はがきを買う」とか「Aさん(旦那様)に手紙を書いてポストに投函する」とか「本を買う」とか「コーヒーを飲む」とか比較的簡単にこなせるミッションが多いんですね。今回のパリでは「何だか素敵な本屋にはいって分からないフランス語を分かったふりをする」とか「内容をすべて暗記しているのでフランス語でもOKなサンテクジュペリを買う」とか「その本屋に良さげなガイドブックがあれば買う」「そのガイドブックに載っているところのどこかに行く」などをこっそり私の心の中でミッションとして掲げていました。それで泊まったホテルの近くのなんだか素敵な本屋さんで買ったのが上の2冊。

Paris: Restaurants & MoreというのとParis: Shops & More。それが本当に大当たりで、パリ市内の各地域のおしゃれで簡単な地図と住所や一言メモがフランス語、ドイツ語、英語でちょこっと書いてある以外はすべて写真だけ、という、まさに「百聞は一見にしかず」を地で行くガイドブック。まるで芸術のような写真集のような本当に素敵なガイドブックで、どれくらい素敵かというと、私がこれを買ったのを見て一緒にいたHもMちゃんもその後この本を探しまくる、という行為に出た、といえば伝わるかもしれません。Hは本当にお洒落なことには目のない本人もすごくおしゃれな女の子なのです。そして私も家に帰ってからアマゾンで、もう一冊のParis: Hotels & Moreというのをしっかり買っちゃいました。今回泊まったホテルが載ってたりしないかな、とかすかな期待をしながら。

で、そのなんだか素敵な本屋さんで、こうして友達のHが私が選んでいる姿を写してくれたんですが、ここはホテルからシャンゼリゼまで歩く途中にあったこともあって私たち実は毎朝通ったかもしれません。この横にあったモールもなんだか素敵でした。この本屋さんでもどこでも、私たち日本人3人の観光客でもあっさりフランス人な気分にかぶれて「ボンジュォー」といいながらお店に入って行くとみんなにっこりして急に親切に色々教えてくれます。フランスでは英語を話すと嫌われるよとも言われましたが、他にチョイスのない私たちは数少ないフランス語の語彙を駆使することもなく、ほとんど英語だけで押しました。でも私たちが入ったところで嫌われたところなんてありませんでしたよ。気づいてないだけかもしれませんが。きっとパリジャン(ジェンヌ)とはいえこっちがにこにこしていれば相手もひとりの人だし、にこにこ返してくれるんだと思います。パリの本屋さん、なんとなく甘くてさわやかな香りがしていたような気がしてもうすでに懐かしいです。また行きたいな。

そして写真を見ると分かるかもしれませんが私しっかりコート着てます。ローマでは溶けるかと思うほど暑かったのに(特にこの日はすごく暑かったと後で友達に聞きました)、2時間飛んだだけでパリはすごく寒いのです。ローマからジャケットすら持って行かなかった私は、写真の黒いコートだけではなくカシミアのリバーシブルの素敵なショールも買いました。しかもそのふたつともパリ滞在中大活躍だったのでした。

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  • Prey (21 Feb, 2003)

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