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Vienna Staatsoper


8月に、10月のウィーン出張が入ると分かってから、どうしても一度は行きたかった国立歌劇場に行こうと思い立ってチケットを頑張って取ったのでフライトの疲れもなんのその、という気分で見に行ってまいりました。最新作のミッションインポッシブルでのあの息を飲むシーンとなった歌劇場です。映画ではトゥーランドットでしたが、私は同じプッチーニでも蝶々夫人でした。この際日程が合えばどのオペラでも良いというのが正直なところでしたが、結論から言うと、私は今、この年齢でこの時期にこうして改めて蝶々夫人を観ることができて本当に「助かった」と思いました。「良かった」というよりは「助かった」と思ったのです。

ところで、せっかくヨーロッパに住んでいるからという理由で、ミーハーな気分で私はオペラに行くことが多かったこともあって、観光客の皆さんがせっかくだからといってオペラに行くという選択をするのをとても応援します。ので、ちょっとしたコツを書いておきます。

まずオペラのチケットをゲットしたら会場の場所、開演時間、会場のオープン時間などを確認します。夜のオペラの場合は終了時刻が夜の12時を超すこともよくあります。ですので女性だけの場合はホテルの人に頼んで帰りのタクシーの予約をしておくのも良いかもしれません。カーテンコールまで会場にいると、タクシーを求める人の群れに埋もれて、下手をするとタクシー難民になります。女性だけで夜中に地下鉄に乗るのは自己責任で、というと簡単ですが、99%の確率で何も起こらず安全だとは思いますが、1%の確率をどう考えるか、というところです。私は最近は後ろ髪を引かれる思いで、幕が一度閉じたらカーテンコールは振り切って一足先に会場を出ます。するとタクシーはすぐに拾えます。

もう一つ大事なのは、もし英語の文章を読みなれていない方は、前日から前もって、観る予定のオペラのあらすじを1幕、2幕、3幕、とインターネットで探して日本語で頭に入れておくのも良いでしょう。プッチーニは全編イタリア語なので、あらすじが分かっていないと、だいたい置いていかれます。英文を読みなれている方はこれはサボっても大丈夫です。理由は下の方に書いておきます。

その日は観光を詰め込まず、お昼を食べたら午後はホテルやカフェなどでゆっくりと過ごすことをお勧めします。疲れすぎるとオペラは大音量の子守唄になりがちらしく、よく日本人の可愛らしいお嬢さんたちがコックリコックリとされているのを目にします。せっかく素敵な大人の夜を過ごすので(チケットもお安くはないですし)、前もってお昼寝をしておくのも良いかもしれません。会場付近には私は1時間半以上前に到着することにしています。なぜなら、場所を確認して、オペラハウスの外見を胸に焼き付け(写真にも)周りのお洒落なカフェの窓側に座って軽い夕食(サンドイッチなど)をあらかじめ済ませておき、そこに次第に集まってくるお洒落な人々を観察したいからです。この時間は割と至福の時間です。おすすめです。

そして45分から30分くらい前になったら会場に入ります。クロークにコートや大きな荷物を預け、身軽になります。クラッチのような小さなバッグを鞄に忍ばせておくのはいいかもしれません。結局小さなお財布と携帯、リップスティックなどしか必要ないのですから。ところで、ウィーン国立歌劇場のボックス席のチケットを持っている場合は、ボックス席のドアの後にちゃんと仕切りのある部屋があり、外套をかけておくための小部屋となっているのでクロークに行く必要はありません。大きなバッグなども多少のものであればそこに置くことができます。素敵な大きな鏡台もあってリップをお直しするのにも最適です。

席を確認したら、お化粧を再チェックして、お手洗いを済ませ、次はプログラムを手に入れましょう。廊下に案内役の男性、女性がきちんとした格好で立っているので彼らに聞いてみましょう。だいたい10ユーロ前後で買えます。ウィーンは3から5ユーロでお安いイメージでした。プログラムはオリジナル言語、つまりフランスだとフランス語、イタリアだとイタリア語、オーストリアだとドイツ語で書かれているので、買っても意味がないなあと思うかもしれませんが、プログラム自体がすごく素敵なので是非買ってください。そしてその中に必ず"A Lire a vant le spectacle"(フランス語で「観劇の前に読む」という意味)だったり、"Argomento"(イタリア語で「主題」「あらすじ」というような意味)だったり英語で"Synopsis"と書いてあったりするページがあって、そこには日本語訳がある時もあるし、英語訳は必ずあります。それをお勉強(予習)するのが正しいオペラ前の時間の過ごし方なのですね。もちろんこれはオペラに精通した方はされませんけれど。

プログラムを手に入れたら次にバーを探しに出かけます。オペラハウスにはだいたい素敵なバーが付いていて、大人の皆様がそこで社交活動をされています。やはり好きな方は通うのでばったり会うのですね。とても楽しそうです。シャンパンのような泡モノが人気ですが、私は観劇の前のアルコールは不安なので、だいたいトニックウォーターにレモンを入れてもらったりして、そういうすっきりしたドリンクをいただきつつ、プログラムを隅から隅まで眺めます(読みます、ではない)。そしてあらすじを再予習して時間になったらボックス席に入ります。上の写真はそのくらいの時間ですね。開いているのが縦長いプログラム。買うとだいたい、その日の歌手の皆さんの名前が書いてあるようなリーフレットももらえます。そして続々と集まってくるボックスの皆さんとご挨拶して、開いている英訳パネルを調節して、それからオペラの世界に入り込んでいく、という形です。

実は蝶々夫人はいろいろなところで観たのを入れると、私にとってちゃんとしたオペラハウスではこれが3回目です。他の演目よりなぜか多く観ているのですが、特に好きというわけでも嫌いというわけでもないというのが本心だったんですね。たまたまです。好きでもない、というのは、そもそも自分自身が長崎の東山手に住んでいたこともあって、「外国人から見た、素朴な長崎の人々と、芸者小屋の人々」という絵図が「さもありなん」で、コンセプトとしてチープなイメージがあるのは間違い無いんですね。わかりやすい例を出すと、現代の妻子ある日本人サラリーマンが、例えば仕事の関係で行った小さな途上国で入った飲み屋さんの可愛らしい女の子に声をかけて、それなりに仲良くなっちゃった、というのと何が違うんですか、という感じ。

ただおどろきなのはプッチーニが日本に行ったことが無いという事実でしょうか。それだけがただただすごいです。日本の民謡をちょこちょこと入れたり、アメリカ国家をうまく取り入れたり、まさに天才です。ストーリーとしては、時代背景と様々な状況で商売の女性に成った蝶々夫人は不幸なんだかそうじゃ無いんだかわからない部分で「これが私の人生」という半ば諦めの境地で没落士族であったら父のため、と生きているのですね。それを誰も責めることはできませんが、幼い15歳の女の子に本当の愛情なんて分かるわけがなく、あっさりとピンカートン氏を全て信じ切ってしまうんですが、そこを、いつも自分のことのように悔しく、憤ってしまいます。有名な「ある晴れた日に」が、まさにその信じ切っている感情そのものなのですが、いつもこの痛々しいアリアを聞きながら苦い気持ちになっていました。

ですが今回は初めて、渋い気持ちではなく、晴れた秋空のような気分ですっきりと「ある晴れた日に」を聞くことができました。今回初めて、遅まきながら、実は蝶々夫人は実はこの歌の時には全て知っていて、何もかもわかっていて、裏切られたことも全部、気づいた上で、ただ単に、ピンカートン氏を好きだという気持ちだけだったんじゃないかと、急に思いました。人生どうしようもないことはものすごくたくさんあります。自分の気持ちだって一番どうしようもないものでしょう。ずっと話をそのまま受け取っていて、騙された蝶々さんはバカな子だと思って憤っていたけれど、そういうことじゃないかもしれない、と思いました。騙されていなければ自分を見失ってしまいそうな状況だってあるかもしれない。気丈に生きるっていうことは強い(正しい)という意味だけじゃないかもしれない、と思いました。2008年のエドハリス主演映画の「アパルーサ」を見たときも、蝶々さんとは全く逆の意味ではありますが、確か少し似たようなことを考えたような気がします。

そしてこうして年齢を重ねてきて、世の中は公平ではなく、強い人がいて弱い人がいる、正義だけが勝つわけでもなく悪だけが勝つわけでもない、というのが人生を通してだんだん実感として自分の経験として自分の一部になってくるときに、「勝ち組」だとか「負け組」だとかそういうことの本質を考えずにきれいごとをいうことの無邪気な悪意や、「知らないこと」あるいは「よく分からないこと」という存在を無視して生きて行く容易さなどに流されがちになってくると思うんですね。時々胸が張り裂けそうに辛く悲しいことが起こって、人々の無関心さや冷たさ、温かさ、優しさなどに触れると「一見弱い人」が実は「強い人」であることが見えてくると思うんです。「一見強い人」が「弱い人」であったり。今、この現実世界で、それを時々思い出させてくれるものは少ないのですが、この蝶々夫人は私に強く「思い出して!」と言ってくれました。弱く、優しく、騙されやすく、そして美しく、儚い蝶々さんは、その後の息子のことを思うと、本当はとてつもなく強く、賢い人なのかもしれないのです。

最後にマリアカラスのUn bel di'(ある晴れた日に)の音源を見つけたので載せておきます。対訳もあってわかりやすいです。

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オペラガルニエ先日ちょこっと書きましたが、2月の週末にパリのオペラ座(ガルニエ宮)でヘンデルのアルチーナを鑑賞してきました。写真がパリのオペラ座ガルニエ。オペラという名前のメトロの駅を出て階段を上り、振り返るとこの景色が待っています。観光客のほぼ全員がこれをキャーといいながら写真撮影しています。私もその一人。さて、アルチーナをかいたヘンデルはドイツ生まれのイギリス人。ですがイタリアにも長い間滞在したのでイタリアンオペラをたくさんかいています。アルチーナもそのひとつ。1700年代に生まれたオペラですが、中身のお話の時代はもうちょっと前を設定されているような、完全なファンタジーのお話です。私はローマで短編を1度、パリでもう一度見たことがあるんですが、そのとき全く歌の内容は分からなかったものの、超絶美人が本物の恋愛をできない悲しさのようなものを見た気がして、なぜかすごく心に残っていました。別にそういうお話ではないんですが。

それで今回パリで週末を過ごせるということで、もしかしてアルチーナの公演時期とかぶる?と思って調べてみたらバッチリでした。それで迷いなくチケットを購入。ひとりなので結構良い席がいくつか空いていて、オーケストル席のど真ん中、前から7列目をゲットできました。ガルニエの場合は実はオーケストルの座席よりもバルコンと呼ばれるちょっと後ろのちょっと上に位置している座席が良い(オプティマ)とされています。でも私にとっては、舞台で汗が飛ぶ様子まで見えるオーケストル席の臨場感は何にも代え難いのです。

Versailles中に入って、すぐにプログラムを買い、クロークにコートを預けて、バーでシャンパンとマカロンを買って(12ユーロ)ひとまず赤いベルベットの長椅子に座ってシャンパンを飲みながら予習です。オペラを観る時は私の場合はとりあえず読み物をちゃんと読み込んでしっかりその世界に入っておかないと、すっかり取り残されてぽかーんとなってしまうので大事なのです。だいたいの筋は知っているものの、プログラムはほとんどフランス語なので唯一の英語の部分(パフォーマンスの前にどうぞ、と書いてあるところ)と、付録のオペラの会話部分(イタリア語)をせっせと読みます。挿絵にアルチーナを題材にした絵画や風景(ヴェルサイユのプチトリアノンの愛の神殿、写真がそれです。数年前に行ったときのもの。)なんかも載っていて、気持がどんどん盛り上がって行きます。そしてふと湧いた疑問。オベルト(少年役)の名前がプログラムにない。もしかしてこのアルチーナ、オベルトなしバージョン?

オーケストルの席は前から10列目くらいまで、通路席も予備席が出てもはやぜったいに離席できない状態になります。となりのひととも前後ともパツパツです。私の左となりは妙齢のカップル、男性がフランス人で女性がアメリカ人でしたのでふたりは英語でお話していて私も参加して楽しい観劇となりました。私は真ん中の通路席だったので右となりは補助席。シニアのパリジェンヌのかわいらしいおふたりが来てニコニコしてひたすら話しかけてくれましたが私にはさっぱり。ニコニコ返しをしてやり過ごしました。

大喝采で前奏が始まり、幕があくと、ものすごくシンプルなコンテンポラリーモードの舞台でした。そしてたくさんの男性が転がっています。時々半裸と全裸でびっくり。結局アルチーナの魔法で動物に変えられてしまった、という設定を、アルチーナとの消耗的な恋愛で魂が抜けてしまった男性陣、という表現にしたのだなと思いながら見始めました。下の動画が最初のアルチーナのルジェッロの場面です。奥で男装しているルジェッロの恋人のブラマンテが悲しい気持で、恋に盲目になっているルジェッロを見ています。それを優しくなだめるのがルジェッロの家庭教師のメリッソ。


Alcina - Myrtò Papatanasiu di operadeparis


アルチーナはそのソプラノやアルトの配分から、2人の女性が男性役(ひとりは男装という設定、ひとりは男性という設定)になっていて、わりと混乱します。でもそういう設定だからこそのとりかへばや的な面白さも入っているということなのでしょう。

そして案の定オベルトは出てきません。モダナイズされた場面設定で、彼とお父さん(ライオン)のシーンは完全に取り除かれ、アルチーナの非情さが出ないようにしてあります。アルチーナはひとりのかわいそうな恋多き女性としてえがかれているのです。

その中で観客の大喝采をあびたのがモルガーナ。この現代版ではホテルのメイドさんとして出て来て(彼氏のオロンテはホテルマン的)コミカルな動きがとても良く、かわいらしいアリアとなっていました。下にあります。どうぞ。


Sandrine Piau interprète "Tornami a vagheggiar... di operadeparis


この映像は初演のものらしく、実は私が行ったときのほうが伸びやかでもっと大げさな動きで観客からクスクス笑いがたくさん出ていました。モルガーナは男装したブラマンテに恋してしまったので、最後にブラマンテが女性と分かったときの手のひら返し(オロンテに戻りました)がなんだかかわいそうで、しかもかわいらしくて、こういう女性いる!という感じで楽しかったです。

そして最後。ネタバレになりますけど原作とはちょっと違った方向にいってしまいました。原作はすべてもとにもどってめでたしめでたしの大合唱になるところが、これは自殺してしまったアルチーナをもういちどルジェッロが見にいってしまい、そしてルジェッロとブラマンテは違う方向へ消えて行くのです。あまりに切なく驚きの最後に息をのみました。いやぁ、素晴らしいエンターテイメントだったと思いました。

歌に関して言うと私は素人なのではっきりいって全く分かりませんが、実はフランスのオペラもイタリアのオペラも、観客がすごく厳しいので、歌が悪い場合は平気でブーイングが起こる事も頻繁にあるんですね。でもこのオペラはみんなが総立ちで大拍手喝采だったので、歌を聴く人も満足がいったということなのでしょう。チケットとったり、スケジュールの都合をつけたりと、多少面倒ではありますが、こんなに楽しいなら、またローマでもパリでもオペラを積極的に観に行って楽しもうという気持ちになりました。

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ランドリー旧正月も終わり、カルネヴァーレも終わって、去年と同じく私はパリに出張にやってきました。残念ながらここのところずっと雨です。今回は週末も合わせての出張なので長いし、冬の洋服はかさばるし、ということでホテルでランドリーをお願いするしかないんですが、細かいランドリーがこんなかわいい袋に入っていて、中もひとつひとつのガーメントが袋にきちんと入っていてなんとなくパリ!という感じがして嬉しかったので写真をとってみました。少なくともイタリアでランドリーがこんな袋に入ってくることはない、と思います。この袋、中は蛍光のグリーン(端の色)であざやかでした。あまりに可愛くて捨てれないけどどうしようもないですね。こうやって写真を見ると安っぽい椅子もなんとなく可愛く見えるし、私は実はちょっとオーガニックな色とパターンのカーペットが苦手かも、と思ったんですがこうして見るとそんなに気持悪くはないですね。パリのプチホテル実際本当に悪くないです。そういえば出発前に「私のフライト夜の11時に到着だからホテルには真夜中過ぎに到着するからお知らせしておきますね。到着するころにちゃんとフロントの人はいますか?」とメールしてみたら「ピンポンをおしてくれればすぐ出て行きますので大丈夫です。夜中のフライト大変ですね。でもゆっくり眠れば朝には美しいパリが待っていますよ。Sergioより」という素敵な返信がきたんですよね。それだけで気持がすっと軽くなってありがたいなーと思いました。英語もフランス語も流暢なSergio、ありがとう!

今回の会議の議長さんのアメリカ人女性とは私はもう8年にわたる知り合いなんですが、出張前にメールがきて「週末どうするー?」と言われたので「一緒にどこかにいこう!」となっていたんですね。で、彼女の同僚も一緒に3人で今日はオーランジュリー美術館に行ってきました。実は私3回目です。でもいつ行っても新しい発見があってすごく好きです。今回は地下のギャラリーがずいぶんキレイになっていてまたまた楽しめました。1回のシグニチャールーム(2部屋)のモネももちろん圧巻ですが、地下のポールギョームのコレクションの充実度にかなり「圧倒」されます。今Overwhelmedって日本語でなんだろうと思って調べたら圧倒されるとか参るとか出て来たんですけど微妙に言いたい感じと違うんですけどまあ仕方ないですね。圧倒されつつ、頭の中や心の中があまりの情報量にごちゃごちゃしてきてパンクしそうになる、という感じでしょうか。あれ、それがつまり圧倒されるってこと?

印象派は日本人にとても人気だというのは実はフランス人にとっても常識のようで、面白いなと思います。モネもいいしセザンヌもいいんですが、やっぱり女の子という意味でローランサンのパステル調の絵はこう、心がつかまれるというよりは目が離せなくなりますね。女性?馬?犬?みたいなメタモーフィスも目が離せなくなる原因だろうけれどやっぱりあの色合いがぎゃーともがきたくなるほどなにかをくすぐります。私はもともとない語彙がさらに海外生活のせいで(今思い切りさりげなく自分の知性のなさと衰えのせいじゃないことにしました)どんどんなくなってきているので、なんでもすぐ「かわいい」と言ってしまうんですが、上のランドリー袋を「かわいい」と思った同じレベルでピンクとグレイのローランサンの絵を「かわいい」と思ってしまうんですよね。それはそれでどうなんだろうと自分で思わないこともないんですが、芸術って結局なんなんでしょうね。「好き」という気持ちだけじゃだめなんでしょうか。

あとはやっぱりルノワールですね。少女も女性もオレンジとピンクがかったような上気した頬がつるりとしていてうっとりします。ユトリロのパリを愛する感じも好きです。オーランジュリーの建物自体もいいです。じっくり2時間半楽しんだあと、3人でアンジェリーナのサロン・ド・テでランチしてきました。上に書いたSergioは特に親切にしてくれるフロントマンなんですが、彼が昨日、「明日土曜日だね、予定はどうなってるの?」と聞いてきてくれたので「友達と3人でオーランジュリーにいってアンジェリーナでランチでも、と思ってるんだよね」と言ったら、「そうなんだ、たのしんでね!」とにっこりしてくれただけで嬉しかったんですね。それが、今日、起きて朝食の前にフロントに寄ったらSergioではないフロントの人が「これSergioからだよ」とお手紙を渡してくれたものに、なんと今日のプランがすべて書いてあったのでした。工事中のメトロの駅を避けた交通手段もプリントアウトしてあったし、なんとランチのテーブルまで予約してくれていて、びっくり。Sergioは気を利かせて昼の1時で予約してくれたんですが、12:30に到着した私たちをアンジェリーナの皆さんも、嫌な顔する事なく長ーい行列をするするとパスしてすぐに席に通してくれて、一緒にいた二人に「マサミ!あなたみたいに完璧になんでもやる人を見た事ない!FAOで働いている事にまたすっごく納得した!」と言われちゃいました。えっへん。でも私じゃなくてSergioがすごいんですけどね。

明日は多分ひとり行動になりそうです。というのも出発前にあわててパリのオペラ座のスケジュールを確認したら、私の大好きなイタリアオペラのアルチーナを日曜にやっていることを発見したのでチケットを手配したら一人ならいい席があるということだったので一人で行くことにしたのでした。アルチーナを見るのは実は3回目なんですが、ここのサイトに書いた事なかったですね。今度時間があったらどういうところが好きなのか自分で分析しながら書いてみたいところです。ところで今回FAOから指定されているホテルはパリのかなり北のほうにあるのですが、会議にはすっごく遠くて毎朝微妙に凹みますが、オペラ座(ガルニエ)が遠くないのを逆手に取って週末でこの凹み気分を挽回しようと思います。乗り換えなしで数駅なので本当にラクラクです。じっくりオペラを楽しむ明日のために今日は夜は出歩かずにホテルでゆったりと過ごそうと思います。

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Miffy with a Pearl Earring先日、旦那さまのAさんが夏休みの時に上野の東京都美術館へマウリッツハイス美術館展を観に行ってきました。夕方はわりと混雑していないらしいんですが、私たちは午後に予定があったので開館時間に着いたらすでに40分待ち。昼に美術館を出る頃には70分待ちになっていました。来週の月曜日が最終日なのでもしかしたら駆け込み需要が激しくなっているのかもしれません。

写真はフェルメールと同じオランダを祖国に持つミッフィー。「真珠の耳飾りのミッフィー(2012 - タカラトミー作)」で、姪っ子に買ってきたんですが、美術館では飛ぶように売れているみたいですよ。チケットなしで入れるミュージアムショップでも買えるようで、ものすごくたくさんありました。でもちょっと微妙なコスプレ感と、耳飾りなのに耳についてない感が少しだけ笑えます。あ、武井咲さんがオフィシャルサポーター(?)ということでミッフィーと同じようにターバンを巻いてプロモーションされていましたが、映画のスカーレットヨハンソンさんよりずっとずっと似ていてびっくりしました。


ハーグにあるマウリッツハイスはいわゆるヴィラ(邸宅)式美術館で、私はローマのボルゲーゼ公園にある邸宅美術館、Galleria Borghese(ボルゲーゼ美術館)やロンドンのWallace Collection(ウォレスコレクション)などが大好きなので、マウリッツハイスもすごく行ってみたい美術館のひとつです。オランダらしい街並と左右対称の邸宅と、真っ赤な壁やオリーブ色の壁に金色の額縁におさまる美しい絵画の数々を堪能できるだなんて、美術に疎い私でも十分しあわせな気分になりそうです。ローマからそんなに遠くないので時間が出来れば是非週末旅行でもしてみようかなという気分になりました。今はもちろん改装中なので新しくなったマウリッツハイスへ(どうやら向かいの敷地が売りに出されたことから迷いなく拡大改装することになったらしいですよ)。

さてテレワークは思った以上にもどかしいですがスカイプのおかげでそこそこうまくいっています。先日は筑波大学の大学院生のみなさんへのセミナーへ呼んでいただいて2時間ほどお話をしてきました。思った以上の数の学生さんに来ていただいてちょっと感激しました。呼んでくださったN先生ありがとうございました。またどこかでご一緒できると嬉しいです。

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ファルネーゼ宮殿

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ローマの歴史的中心地区にある、ファルネーゼ広場のファルネーゼ宮殿は、写真の国旗で分かるようにイタリア政府がフランス政府にフランス大使館として永遠に貸している建物です。EUの国旗とトリコロールの間にある窓は、大使の執務室の窓なんですが、明るいときは光が反射して分かりづらいけれど、暗くなるとライトアップの効果もあって、中の美しい天井と、両側の壁のフレスコが垣間見えて、強烈にゴージャスです。そんな執務室で毎日働く大使ってやっぱり大使なだけありますよね。このファルネーゼ宮殿の改築の設計にはかのミケランジェロも加わったらしいですよ。そんな建物が職場だなんて、なんだか遠い目になってしまいます。

実はこのファルネーゼ広場、私は実はすごくお気に入りで、広場に2つある噴水がカラカラ浴場のバスタブを使っているのが圧巻で、それを眺めながら広場でのんびりするのがとても好きなんですね。とりたててこれということもない普通のバールが広場の入り口(カンポ・デ・フィオーリ広場側)にあるんですが、そこの外のテーブルに座ってあたたかいチョコラータを飲みながら、このファルネーゼ宮殿の控えめなライトアップを眺める冬のひとときなんて最高です。あと、もうひとつ、このファルネーゼ宮殿に向かって左側の方にあるバールがちょっとポッシュですが素敵なのでローマに来る方でファルネーゼ広場やカンポ・デ・フィオーリに立ち寄る方は是非訪れてみてくださいね。カンポネスキ・ワインバーという名前だと思います(Camponeschi Wine Bar)。夏は完全に閉まってますので「どのバール?」ということになってしまうかもしれませんが。

そういえばたしか私の両親がローマに遊びに来たときも、ファルネーゼ広場のすぐちかくにあるカンポ・デ・フィオーリ広場でおいしいピザを買って、市場でネクタリンを買って、このファルネーゼ宮殿の周りのベンチで美味しく食べました。カンポ・デ・フィオーリで市場があっているときはその広場は混雑しているのでこうしてすぐ隣のファルネーゼ広場に来ると人ごみから少し離れてゆっくりできるのでおすすめです。

さて、ローマに在住のこの5年の間、私はずっと「ファルネーゼ宮殿に一度でいいから入ってみたいな」と密かに思い続けていたんですが、先日ついに、それがかなったんです。写真の垂れ幕で分かるように、この時期、宮殿の一部を一般公開しているんですね。イタリア人の友達のMが、友達のフランス政府で働いているEに頼んで公開ツアーの予約をとってくれて、さらにあと3人プラスEのボーイフレンドと一緒に合計7人で木曜日に行って来たわけです。

いやぁ、本当に良かった!残念ながらさすがに執務室は見ることができませんでしたが、他のすばらしい彫刻や絵画、そしてファルネーゼ家の「音楽室」であったと言われるカラチギャラリーの、まさに息をのむゴージャスフレスコを見ることができて大感激。このあと、イタリア人&フランス人&日本人の私たちが集まってアペリティーボしたんですが、そのときみんなで話したのが、フランスがいかに反英語主義かということ。この展覧会、オーディオガイドこそ英語版があったものの、全ての展示はフランス語かイタリア語のみでした。さすがフランス政府。4月21日まで公開しているみたいなのでローマにいらっしゃる方は是非どうぞ。

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休暇で一週間日本に帰って来ています。

パリで悔しい思いをしたので、旦那さんのAさんに「行く?」と聞いたら「行きたいと思っていた」というので、先日の3連休の中日に早起きして国立新美術館のオルセー美術館展に、結局行ってきました。連休だしものすごく混んだりするんじゃないかと思って開場が10時なので9時15分頃到着してみたら、すでに長蛇の列。と思いきや、特に待ち時間はなく、9時半に早めに開場してくれて5分後には私たちはモネの庭の蓮やタヒチの女たちを至近距離で眺めていたのでした。

1時間ほどゆっくり見て回って、例の「星降る夜(Starry Night)」もしっかり見て(北斗七星もしっかり数えて)展示場の最後の売店で「生まれ変わるオルセー美術館」の特集をしていた雑誌、芸術新潮を購入したあとロビーに出たら、ロビーはひどいことになっていました。でもこれでも待ち時間は1時間と表示されていたので、わりときちんとしたシステムで順次入れているということなのでしょう。さすが日本。ローマではありえません(そもそも観光客以外はこんなに並ばない)。

上の写真は美術館を出てからお約束な感じで、この賛否両論な建物の外観を撮ってみました。この超近代的な曲線に圧倒されるし、なにか強い意志のようなものを感じるので私はかなり好きなんですが、Aさんは黒川紀章氏は内装をコンクリート打ちっぱなしにしすぎ、といってあまり内装は好きじゃないようです。美術品を飾るには主張が少なくていい気がするんですけどね。

こうしてポスト印象派の絵画を見て、黒いふちどりが特徴的でかつちょっと乱暴で破壊的なゴーギャンをまたしみじみと見たので、そのあとふと思い立ってモームの「月と六ペンス」を読み直しました。私の母は、小学生であった私と、中学1年生くらいだった私の姉にこの本を買い与えたのですが(その他のモームの作品と共に)、今読み返せば読み返すほど、当時の私たちが理解できたわけのない意味の深い文章が並んでいます。たとえば「人間はこの世でそれぞれ孤独である。人間は鉄の塔の中に閉じ込められていて、他の人間とは符号によってしか交流できない。ところが、符号は人間同士共通の意味を伝えないので、その意味はあいまいで不確かである。人は心の中の大切な物を他者に伝えようと苦闘するが、他人は受け取れるだけの力を持たない。」や「恋愛における男女の差異は、女は一日中愛していられるが、男はときどきしか愛せない、ということである。」など。

でも、最後のロンドンでのストリックランド夫人とのやりとりと、アタとその息子を思い浮かべて"God blesses those who are poor and realize their need for him, for the Kingdom of Heaven is theirs"とマタイ5-3を引用したくなったという「僕」のくだりはいつ読んでも心をつかまれる思いです。謙虚であることや無知の知のようないわゆるありきたりの教えではなく、(文明社会の)人間というのはもともとイグノラントで驕りのあるものであり、それを失うための唯一の方法は最初からもたないことである、というような救いのない感覚を覚えます。私は幼稚園で母から持たされたプラスチックのコップを運悪く割ってしまった(というよりヒビ割れさせてしまった)ことがあるのですが、泣きながら家にそのコップを持って帰った私に母が、「割れちゃったね、困ったね、でも仕方ないね」というので「どうやったら元に戻るの?」と聞いたことがあります。母はこれを覚えているか分かりませんが、そのとき「割れたコップを元通りにする一番いい方法は、最初から割らないことよ」と言いました。真実であり、納得のいかない答えでもありますが、結局はそういうことなのだと思います。文明社会で、もはや生まれながらに謙虚でいることができない私達は、月だけを追うことはできないのでしょう(ゴーギャンやこの作品中のストリックランドは一般的な「謙虚」とはかけはなれた意味で、月を追うことができたようですが)。だからといって六ペンスだけに生きることもできない。月と六ペンスのバランスを自分なりにどう工夫するかが大事なようです。

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ラ・ミュエット界隈

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私がパリに出張の時はだいたいにおいてOECD(経済協力開発機構)での会議に参加するためなんですが、そのOECDはパリの中でも高級住宅が立ち並ぶおハイソなエリアにあります。北側はブローニュの森でメトロの最寄り駅は9番線のLa Muette。地下鉄の出口から階段を上がっていくと、なんとも素敵な町並みがぱーっと広がっていて、左手にはすぐに木立が美しいラヌラグ公園があるわ、おしゃれなビストロやサロン・ドゥ・テ、ブーランジェリーにパティスリーが並んでいていい感じです。

今日は会議の最終日で、12時半にすべての議題が終わったので、OECDでバイオセイフティの仕事をしているフランス人の友達のBとランチに行こうよ、ということになりました。まずは前回メキシコに行ったときに一緒に撮った写真を見せてもらってわいわい言って、せっかくだし外でランチしよう、と、そのラ・ミュエット駅のすぐ近くにあるLa Rotonde de la Muetteというビストロの外の席に座りました。イタリアとちょっと違うなといつも思うのが、フランスではお二人様で外の席に案内される場合、どんなに小さなテーブルであっても、ほとんどの場合向かい合わせに座ることがないということ。店の壁に背中を向けて2人並んで座ることになります。目の前の通りを通る人をウォッチングするような体勢になるわけですね。ちなみに友達のBはゲイの男性ですが、背も高いしかなり素敵な雰囲気をかもしだしているので一緒におしゃれランチをするのがかなり誇らしいと思ってしまいます。サービスもしたがってかなり良いサービスを受けられるんですよ。フランスは見た目勝負なんでしょうか。ですから、フランスに旅行されるみなさまは、多少歩きづらくても、周りから目をとめられるような素敵な靴を履いて、暑くてもスカーフをさらりと巻いて、帽子なんてかぶらずに、重くてもまるで空気しか入ってないようなふりをしてバッグを小脇にかかえて、サングラスはマストで、さっそうとして、今からオペラ鑑賞にでもいくのかというほどお洒落をして街歩きをされることをおすすめします。女性はスカートのほうが絶対サービスは良いです。あ、でもこういうアドバイスっていうのは善し悪しですね。ちょっとしたサービスを感じるかどうかというのは主観的な問題だし、お洒落をしていてもちゃんとサービスしてもらえないこともあるので、その辺は自分なりの優先順位で(歩きやすい靴の方がいいとか)決めるのがいいのでしょう。当たり前ですが。私はパリではおのぼりさんなので気合いを入れます。

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夕方からオルセーへ。

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今日の会議で私が関係する議題が終わったのが4時過ぎだったのと、木曜日はオルセー美術館が夜の9時半くらいまで開いているという情報をホテルで得たのとで、PERのC線に乗って会議の帰りに行ってきちゃいました。会議帰りだったのでスーツだったのとコンピュータを抱えたりしていたのとで、ちょっと暑い中大変でしたが、行って良かった。

私は最近気づいたんですが、かなりのレベルで「庭園好き」だということが分かってきて、旅行に出るとかなりの確率で庭園に行きたがるということに今更ながら気づいたんですが、もうひとつ好きだと気づいたものがあります。それはテラス。私、すごくテラス好き、屋上好きです。それでオルセーのテラスからはモンマルトルが一望できるという話をきいて、ものすごーく期待してはいったんですが...。

なんと、オルセー美術館、現在改装中。しかもそのテラスに出れるという5階(というか3階)だけがクローズド。かなりがっかりです。その上階にポスト印象派の絵画がまとめて、ゴッホやゴーギャンやモネやセザンヌなどがあるはずなのに、その絵たちはどこ?と探すと、一時的に設けられた特設の部分に並んでいたことはいたんですが、なんだか、コレという名画が少ししかない。どういうことなの?とインフォメーションで聞いてみたら、にっこり笑って「あなた日本人?だったらラッキーよ、だって今半分くらいのオルセーの名画は日本にあるから、帰ったらたっぷり見れますよ」だそうです...。今グーグルしてみたんですが、国立新美術館にて、その名も「オルセー美術館展2010」だそうです。がっかり。初めて見たときにかなり強烈な印象に残った、ゴッホの「星降る夜」も今東京にあるみたいですね...。

今回、私の人生でオルセー訪問は2度目だったんですが(一度目は19歳の時でした)こうしてちょっと消化不良気味になってしまったので、今度パリに来たらまた必ず来ようと思いました。帰りはセーヌ川を渡って、チュイルリー公園を抜けて、ルーヴルの横のカフェマルリーでおひとりさまのお食事をしてホテルに帰ってきました。ひとりだし暑かったけど動いてみてよかった。こういうことでもしないと、空港と会議場とホテルの往復だけで終わってしまうから。明日は会議最終日です。会議が終わったらパリ在住のMさん(転職されてパリにいらっしゃいますが、以前はローマで私の部署の中のかなり上のランクの方でした)とお食事でも、という約束をしているので楽しみです。

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priscilla.jpgロンドンでまたミュージカルに行ったというお話をちらっと書きましたが、私が早起きしてマーケットに行っている間に友達のMちゃんがチケットを取っておいてくれたのでした。「何のミュージカルでもいいよ!」と言っておいたのですが、前日にMちゃんがオペラ座の怪人とかいいねーという話をしていたので、そういうミュージカルかと思っていたらびっくり。この有名なドラッグクイーンのミュージカルでした!タイトルはPriscilla: Queen of the Desert

自分ひとりだったら絶対思いつかないものなので私はすっごく楽しんでしまいました。友達と旅行に行くとこういうのが一番嬉しいですよね。思いつきの掛け算というか、思いがけない楽しみというか。ミュージカルはPalace Theatreというところであったのですが、なんだか古くて素敵な劇場でした。最初っから最後まで強烈にダークでブラックなジョークに大笑いしながらすっかり楽しみました。宙吊りになって演技したりダンスしたりするのもすごく良かった。

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Tate Britain & Tate Modern

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ロンドン旅行の続きですが、土曜日はその後単独行動をやめて、フォートナム&メイソンでMちゃんと待ち合わせしてアフタヌーンティーを楽しんだり、ミュージカルに出かけたり、そのあとホテルのバーで飲んだりして夜遅くまで遊んだりできて、すごく楽しかった。翌日9時にホテルをチェックアウトしてからは私のお気に入りになったセントジェームス公園でふたりでゆっくりブリティッシュな朝食をとったあと、コヴェントガーデンのマーケットをひやかして、そのあとナショナルギャラリーに行きたいというMちゃんと「またローマでね!」とお別れしたあと私はTate Britainに向かいました。

ロンドンのわりと南にあるせいか、あたりにあまり人が歩いていなくて、最寄り駅のピムリコを出た時はちょっとだけ不安になりましたが、すぐに標識が出てTate Britainをずっと指してくれていたので、やっぱりロンドンはローマとちがってこういうところがキチンとしているなぁと変なところで感心したりしました。そして着いてみると、ひろびろとしたロビーにあたりまえのように無料の入場料。番号順にひとつひとつ絵画を何気なく見ていたのですが、1時間ほどあとに、まさに「息をのむ」という表現がぴったりなTurnerの展示室に到着しました。贅沢に、でも単調にTurnerのたくさんの絵がひたすら展示してあって、私が行ったときはたまたま、Mark Rothkoの絵を並べて「世紀を超えて同じ感覚を共有したふたり」というテーマで展示してあり、もともとMark Rothkoが好きで大きな額縁入りのRothkoを家に飾っている私としては本当に心を痛いほど刺激されました。このTate BritainのTurner展示室はロンドンの宝ですね。

2時間ほど見回ったあとこの後どうしようかと考えていると、Tate to Tateというテムズ川を行き来するボートがあることに気づきました。時計を見ると次のボートまで10分。お天気もいいし、テムズ川をボートに乗るのもいいかも、と思ってそのボート乗り場まで行くと、なんともし地下鉄の1日券を持っていたらチケットが3パウンドちょっとになるということで、ちょっぴりお得でした。そのまますんなり乗ってゆっくりテムズ川を北上してビッグベンやロンドンアイを間近に見ながらTate Modernまで行くことができて、地下鉄を乗り換えて行くよりずっと楽で景色も良かった。

写真はTate Modernの7階にあるロンドンを一望できる素敵なレストランでいただいたフィッシュパイとハーブサラダにアップル&ハニーのアイスティーです。私みたいに一人で来ているお客さんも少なくなく、人は多かったけれど、とても居心地の良いレストランでした。エキシビジョンをまわったあと、ポートベローで教えてもらったように、サウスバンクをアイスクリームを食べながら川沿いにゆっくり歩いたりできて本当に良かった。そのあとTate Modernの真正面のミレニアムブリッジ(歩行専用)を渡って、セントポールからロンドンお決まりのダブルデッカーに乗って帰ったのでした。

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前回の続きですが、早朝の市場を出た私はすぐに地下鉄に乗ってMayfairと呼ばれるエリアの北側、Maryleboneエリアの近くまでやってきました。このあたりのショッピングストリートは前回来た時にうろうろしてみてかなり気に入っていたので、絶対また来ようと思っていたのです。一番人通りが多いのがHigh street(多分本当の名前はMarylebone High Street)で、イギリス人の友達が「あなた本屋さんが好きっていってたよね?High StreetにDaunt Booksというのがあってきっとあなたの好みだから是非行ってみて」と教えてくれていたので、迷わずそこへ向かいました。

果たしていってみると私の好みのど真ん中ストライク。旅行に行くとすぐに雰囲気にひたりたがる夢見がちな私としては(?)是非ともイギリスな本を購入したい!と思い、何度も読んだモームでも買うかなといろいろと見ていたら目移りしまくりで、そのうちその本屋さんだけで1時間費やしそうになったので、非常に気になったJane Austenへのトリビュート的な本、Patrice Hannonという人が書いた"Dear Jane Austen"を購入しました。一見、恋愛相談書のように見えるこの本ですが、大学教授である著者がJane Austenの小説に出てくるヒロインたちを完全分析していて、小学5年生の時に母が買ってくれたEmma(当時の私にとっては読んだこともないほど分厚すぎる文庫本で、その分厚さを見るだけで心がわくわくと踊りました)を何度も何度も舐めるように読んだ私にとって、本当にJane Austenが返事を書いてくれているのではないかと錯覚しそうになるような内容です。最近読んだ本のことはすぐに忘れてしまう私でも、当時読んだ本のことは忘れてなくて、当時の自分の想像(エマの生活など)すら思い出すことができて不思議な感覚でした。エマは私にとっては鼻持ちならないヒロインだったけれど、そういうのに憧れる年齢でもあったなぁと今となっては思うのです。

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ブルーノ・ムナーリ展

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昨日主人のAさんが長い道のりを日本からローマまできてくれました。ひとりきりだった日々が急にあたりまえのように何の違和感なく普通に一緒に過ごす日々に変化するので家族ってとても不思議ですね。到着してとりあえずお腹がすいたというAさんにラビオリをゆでてオリーブオイルとバジルと塩こしょうだけしたものにバルミジャーノをかけて出し、ゆっくりイタリアのおいしいコーヒーを飲んだら時差がちょうどよくなってイタリアのお休みタイムにちゃんと眠くなったみたいです。

そのかわり今朝は元気よく朝から起きて、日曜日なのに8時ごろから朝食にしました。そしてローマの展覧会などを紹介するフリーペーパーを見て、Ara PacisBruno Munari展をやっているというので蔵書に彼の本を持つ私としては大変興味をもったので行こう!ということになりました。テベレ川沿いの北にあるこの遺跡+美術館のまわりは日曜日はちょっとお昼近くになると駐車するのはほぼ不可能になるので、そういうことなら、とちょっと急いで出かけました。おかげですんなりと川沿いにパーキングでき、十分展覧会を楽しんできました。日本でも積み木のデザインや椅子のデザイン、飛び出す絵本のデザインなどでかなり有名ですよね。私は彼の数々の四角い本たちに心がわくわくしました。キレイに装丁されてずっしりした本はムナーリ氏のものに限らず、そして内容の善し悪しを問わず、私の所有欲をいつも刺激してくれます。写真は展示品のひとつでもっともらしく計算式をかきつらねてMunariのフォントデザインをしているもの。ですが計算式には全く意味がありません。そのあたりの何ともいえない遊び心とおしゃれなコツコツ感がぐっときます。

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Pluridisciplinary artist

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私の愛すべきロマーナの友人Aが誘ってくれて、共通の友人のGと3人で近所にあるTeatro Palladiumに12月2日のショウを観に行きました。大変人気のダンスパフォーマンスということで1ヶ月前からチケットは売り切れということで、私は恥ずかしながら存じ上げなかったのですが世界的に有名な若い日本人の前衛ダンスアーティストのHiroaki Umedaさんのパフォーマンスでした(写真は (c) Shin Yamaga)。

私はもともと芸術には疎い方なので、特にコンテンポラリーアートともなると、自分のどこを刺激されるのかがピンとこないことが多く、わりとぽかんとしてしまうことが多いので、大変失礼ながら、彼のダンスもそのような感じかもと思っていたのですが、それと同時にあまりの前評判の良さに、驚きつつ(さらに失礼)観せていただいたパフォーマンス、正直に言ってまず音と光の技術とその効果としての「異空間体験」にちょっと自分でも驚くほどぐぐっとひきこまれました。身体の動きも異次元な感じで最後は拍手が鳴り止まず、イタリア人のみなさんすごく感銘を受けたようでしたよ。イタリアにおける「日本」のステレオタイプのイメージである「ハイテク」をさらに印象付けたかもしれません。

図々しくもオフィシャルサイトのブログに書き込みさせていただいたら丁寧にお返事もいただきました。世界的にはもうかなり有名な方ですが、これからもすごく楽しみですね。Youtubeに動画もたくさんありました。動画だと臨場感がなく50%ほどしか伝わらないかもしれませんが、興味ある方は是非。

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大丈夫だったピカソ

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前日書いたように、土曜日はヴィットリアーノでピカソ展を観てきたのですが、私はやっぱりこのヴィットリアーノでの展覧会のやり方は好きです。ピカソなので特に「これが目玉」というようなものはなく(すべてが有名)、淡々とピカソの人生、イタリア・ローマとの関わりを追ったあと、年代は関係なく絵のモティーフにそってセクションが区切ってあります。Picasso 1917 - 1937 L'Arlecchino dell'arteとしてあるのでこの20年間だけに焦点をあててあるのでそれも好ましい感じ。

青の時代はバラ色の時代などはいいとして、キュビズムあたりになってくると、私は「ピカソさん大丈夫だったのかな?」といらない心配をしてしまうのですが、どうやら大丈夫だったみたいですね。恋愛でもなんでも自由奔放に生き、パッションを持って芸術活動を行う、という芸術家の典型の行動パターンなのですが、芸術家の人々はやはり多少変わっているというか、普通の人ではあんなすごい芸術は生み出せない、というのがあると思うので、もちろん一般人の中に混じったらひときわ「変わってる!」という人だったとは思いますが、いろいろとドキュメンタリーの中の彼をみると、特に病んでいる風はないですね(ごめんなさい)。そんなことあたりまえかと思われるかもしれませんが、私に芸術の才能はまったくないので、このあたり気になっていたのでした。

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ラバーネッカー

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9月に両親がイタリアを訪問してくれた時にヴェネツィア滞在のあとユーロスターを途中下車してフィレンツェにも寄りました。到着の翌日の午前中は生憎の雨だったのですが、たまたまその日の予定を「美術館デイ」にしていたため逆にラッキーで、朝から3時間ほどゆっくりウッフィツィ美術館を楽しんだあと、このサンジョバンニ洗礼堂を訪れました。八角形をしたこの美しい洗礼堂は、ドゥオモとお揃いの色合いになっていて(とはいえ洗礼堂のほうが古い建物のようです)内側よりも、外側の扉、とくにドゥオモの方面の東の扉のほうが有名で、ミケランジェロをして「天国の門」と言わしめたほどだそうです。

が、今回は中に入ってみたいと思い、両親もついてきてくれたので、雨だったこともあって10人ほどしか並んでいない列に並んで1分ほどで中に入りました。薄暗い洗礼堂の中に入ってみてびっくり、外側のイメージから八角形の幾何学美を想像していた私を気持ちよく裏切ってくれたのは豪華な金色の天井画!写真のように当然イエスキリストがメインですが、よくよく絵を見てみると、いわゆる「宗教画」のテーマがいくつも細かく描かれています。アダムとイヴから始まり、3人の賢者、受胎告知、マリアとエリザベッタ、キリスト誕生、などなど知っている限りのテーマが、それも美しく並べられているのです。そして、こうして一生懸命長い間親子3人で天井を眺めて(こういうのをRubberNeckerなんて言いますね)8枚の輝く美しいトライアングルのパネルを見ているときにふと、私が日本の無邪気な大学生だったときに「キリスト教学」の講義で、キリスト教では「8」という数字が非常に重要だということを教えていただいたことを思い出しました。

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