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Valの災難
2004年02月25日昨日少し遅く寝たにもかかわらず(といっても1時半就寝)、今日は6:30頃に目が覚めました。うちのリビングルームから出ることができるバルコニーへのドアには何故か、のぞき穴がついていて(多分、普通の玄関のドアに使うドアと同じものを使いまわししたと思われる)、朝のまぶしい光線がその穴から差し込むと、なんとも不思議なことに、ベッドルームのドアを開けっ放しにして寝てしまうの顔にその光線が直撃するのです。のぞき穴はレンズのようになっているのでその光線ときたら、「ビビビ」という表現が最も的確じゃないかと思われる強さなのです。天のお告げで「起きろ」と言われたような気分になってしまいます。
それで思わず起きて、数日前Aさんが買ったケーキをそろそろ片付けてしまわなければいけなかったので、ケーキとコーヒーという、3時のおやつのような朝食にしました。メールチェックしていると大学からリマインダーが届いていて、今日は給料日というお知らせ。だいたいはしっかり覚えていて前日から「あー明日は給料日だ」と楽しみにしているのですが、今回は忙しくて忘れていて給料日がびっくりサプライズになっていて嬉しい。
Aさんとしばらく、今ふたりの中で密かに流行っている「ビッグピクチャー」の話をして、私がお得意の統計学の演説をはじめたところで、Aさんは「そろそろ行かなきゃ」と行ってしまいました。つまんない話して悪かったわ。
それから10時までせっせと論文を書く私。今日は朝だけで30ページ書きましたよ。気分が乗っているといいですね。そしてオフィスへ。Valにラップトップを借りようと思っていたのにValはいないし、ドアはしまっていてロックまでかかってるし、ヘンだなぁと思いつつも、コピーをしなければいけないいものが2コあったので、コピールームにてコピーをしていたら、2年前まで学部長だったAlが来て、「Valのこと聞いた?」といわれたので「Valの何?」と聞き返すと、なんと、Valは昨日の夕方階段から落ちて右手首を折ってしまったのでした!なんということ!
彼女はもともと骨は弱いらしく、数年前に腰の骨を折ってしまって、人工骨を入れたり、その骨が、信じられないことに産業リコールされて、違うタイプのものに入れ替えなければいけなかったりと、骨に関しては災難つづきなのです。明日彼女の郵便を届けるついでにお見舞いに行ってこようと思います。
それから私はJanとミーティングでした。1時間くらい彼女と話合い、私の統計結果と方法について話し合いました。私がちょっと分かっていなかった部分があったのですが、それがなんとひとつの方法で全て片付くことが分かって、私は大満足。彼女とゆっくりミーティングして良かったです。来週には完全に結果と考察の部分は書きおえそうです。それにしても大量のペーパー。こんなに紙を無駄にして大丈夫かなぁと時々おもいますがどうなんでしょうか。
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The Last Juror
2004年02月25日
The Last Juror (John Grisham)
先日届いた、グリシャムの新刊です。久しぶりに法廷スリラーぽくてわくわくしています。まだ邦訳出てないみたいですが、アマゾンサーチでそのうち出るでしょう。読んだら感想書きます。
[ 洋書籍 | 日本語訳書 ]
追記(3/21):昨日、読み終わりました。感想は下に続きます。
まず、この本を読んでいて気づいたことは、このジョングリシャムという人は、彼の生涯を通して、彼の全ての著書を通して、ひとつの大きなストーリーを作っているのだな、ということ。私の読書履歴を読んでくださったことがある方は分かると思いますが、私は彼の弁護士的バックグラウンドよりも、彼の南部のバックグラウンド、クリスチャンのバックグラウンドからのストーリーテリングに心を打たれることが多いです。
連続して彼の著書を読むと、ちょっとしたシーンで、別の彼の著書を思い出したりすることがあります。例えば、今回はイタリア系移民のお話が少し入っているのですが、南部は綿花プランテーションがありましたよね。そこに働きに来ていたイタリア系の人々の扱われ方などなどを読んでいると、"A Painted House"の情景が、びっくりするほど唐突に私の脳裏に広がるのです。他にも主人公が勇気をもってプロテストする姿は"The Street Lawyer"を思い出してしまうし、なにもかもが、つながってくるのです。
彼の一番描きたいのは、こうやって書いてしまうと陳腐ですが、人です。南部のアメリカ人のユニークでかつ情に左右される繊細で図太い人々。もちろん黒人問題は南部とはきって切れぬ関係にあるし、彼らのアフリカゆえんの、強い、厳しいキリスト教への思い、神様とのつながりは、グリシャムにとって、なにか特別なものだと思えます。そして彼のキャリアであった弁護士としての知識がお話に色を付け、スリラーとして読者にページをどんどんめくらせるアクセラレーターになっているのです。
別にアメリカが、南部が、黒人が、弁護士が特別ではないと思うのです。人にはふるさとがあり、自分の生まれ育った土地のことは、知らないうちにそうでない土地のことよりずっと理解しているだろうし、知らないうちに特別な思いを持つものだと思うんです。わたしにとって、熊本はそんなところ。熊本だってアメリカの南部に負けないユニークさを持っているし、問題もいっぱいあるし、愛すべき人がいっぱいいます。それは東京だろうが、ラモツエさんの住むボツワナだろうが、同じだと思うのです。だれもがそのことに気づくその瞬間が、人生のどこかにあると思うのですが、それをグリシャムは彼の特別なタレントによって人に伝えることができるのです。
本は3パートにわかれていて、パート1はそれだけで普通のちょっとドキドキする法廷小説になっています。全355ページの半分くらい。そして本来の、この本の読みどころがパート3。パート2はその1と3をつなげる大事なところですがかなり短めです。パート3の最後は、ちゃんと謎解きが隠されていて、ああ!と気づく瞬間が、スリラーとしての魅力ですよね。ああ!あの人か!そういえば伏線はられてた!と叫びたくなります。そして最後のなんともいえない気持ち。"I knew this was coming..."というさみしいけれど納得する気持ちで読み終えました。
では最後に好きなところを引用しておきます。まずは冒頭、71ページ。
It was hard not to take this personally. She certainly didn't intend to criticize anyone. I vowed to proofread the copy with much more enthusiasm.
I also left with the feeling that I had entered a new and rewarding friendship.
多分、これは私の推測ですが、一昔前まで、日本人には「中途半端なのは恥ずかしいことだ」という感覚があったと思うんです。みんな、20歳くらいでちゃんと大人だった。もちろん今の人と同じくらい中途半端な人もいっぱいいたんだけれど、みんな恥じていたはずだと思うのです。私もいろんな面で自分が中途半端だなぁと思うことがありますが、私は少なくとも恥ずかしい。今の日本社会では(というと大げさかもしれないけれど)、「えーだって、あたしそんなの知らないもん」とか「誰もそんなの教えてくれなかったよ」とか「そんなのできないよ」とかいうのが普通に、まっとうないい訳として通用しているきらいがあると思います。「そんなミスだれでもするじゃん」とかそういうの。
日本はちょっと映像が乱れただけでテレビ局にすごく大量の苦情がくるらしいですが、私は最初はそれが大げさで意味のないことだと思っていたんですね。「別にいいじゃん、たかがザーっとなるくらい」、と思っていました。でもアメリカに来てから、それが日常茶飯事よりもさらに頻繁に起こる日々に慣れてくると、「たいしたことないミスは犯してもよい」社会に疑問を持つことがあります。テレビくらい、と思いますが、そんなミスをしないように最初から必死になって気をつける姿が、大事なのではないかな、と思うのです。そんなことを考えさせられた一節でした。批判されたり指摘されたりするのは痛いしたまにすごく傷つきますが、そういう人こそが自分にとって大事な人なんですよね。だって、私のことなんてどうでもいいと思ってる人はそんなことわざわざ教えてくれないから。
では次は96ページ。
I wrote that down. Then I hustled out of the courtroom as if I had an important deadline.
巨匠の言葉なのですね。自分への戒め的に。
では最後に一番のお気に入り。201ページ。
My hunch was that they had been so spoiled by Miss Callie's cooking that nothing would ever measure up.
私も、最初のパラグラフを読みながら、まさに、彼のhunchを思いついたの!そうよ!絶対そうだ!だって、読んでいるだけで、おいしい南部料理の香りがしてくるみたい!
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