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Bhutan 2007先日、ブータンの国王陛下と妃殿下が日本にいらしてかなり素敵だったと多方面から聞いて、ブータンでのすばらしい経験をまた思い出している日々なのですが、足腰が弱く、すぐにヘタレる私にとって、かなりの苦しい山登りであったパロ(という地域、町にはこの国唯一の空港があります)のタクツァンというお寺に行った貴重な経験をここで紹介していなかったなと思って、写真を公開することにしました。

写真が断崖絶壁にあるこのお寺。お坊さんたちがちゃんとたくさん住んでいるのでいわゆるモナストリー(僧院?)ですね。下にスライドショーを作ってみましたが、最初の写真は遠すぎて分かりづらいかもしれませんが、中央右側にうっすら見える白いものがこのタクツァン僧院なのです。遠くから見ると、「絶対あんなところに行けるわけがない」というようなところにあります。トレッキングの途中、自分自身に「下を見るな、振り返るな、足のガクガクをとめろ」と何度も何度も唱えなければならない恐ろしい階段の連続の中、思い切って下の風景を撮影した命がけショット(大げさ)もありますので是非どうぞ。


私をここに案内してくれたブータン政府の高官のみなさんは、ちゃんとあのブータンの正装でハイソックスに膝小僧を出しながらも軽々と階段を上り下りしていて、本当に感心しました。私はあまりの上り下りに心臓は破裂しそうになるわ(運動不足)、周りは上を見ても横を見ても下を見ても異常に怖くて足がガクガクするわで、貴重だったとはいえ最終的には、もうこんな経験は十分でございます、と言いたくなってしまいました。でも、やっぱりこれは行ったからこそ言えることなのでしょう。

この僧院の別名はタイガーズネスト(虎の巣)。偉いお坊さんを乗せてチベットから飛んできた虎がここに巣を作り、そのお坊さんが僧院を建てたという伝説が残っています。ブータンの仏教は日本のそれとかなり違っていてチベットの密教の流れ(ダライラマの流れ)だそうです。若いお坊さんたちみなさん痩せていて大変そうなのに、すごく優しい笑顔で、それだけで癒されました。

そういえば、ブータンはあの辛いチリをお野菜として食べる国でかつ、ヤクがたくさんいるのでチーズもたくさん食べる国でもあります。ですから初めてブータンに行った10日間で私はすっかりブータンの国の食べ物のファンになってしまって、ご飯にチリのピクルス(すっごく辛いけど美味しくてクセになります、カッテージチーズも入っています)をガッツリのせてたべたり、チリのチーズ煮込みという強烈においしすぎる(でもヒーヒー言います)おかずをこんもりと一皿いただいたりできるようになりました。ブータン、足腰も、気力も、そして私の舌までもを強くしてくれた国といえるでしょう。このタクツァンに行ったのはブータン2度目の時でしたが、その時にはチリのおかずを心待ちにするほどでした。ブータン、美しく、険しく、優しく、恐ろしく魅力的な国です。

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本当の国際人とは

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2週間連続で専門家会議をやっていたのでかなり開放感のある週末になっています。天気もいいし、観光客もたくさんのローマですが、私は家でのんびり中。というのも昨日は大規模デモの噂があったし、今日の夜からは交通ストがあるという噂なので、こんな時は家でいろいろと懸案事項を片付けるのがいいと思ったから。

それでちょうど日本の家族と時差がぴったり合ったので、昨日は茨城にいる夫、東京の姉、熊本の両親とそれぞれたっぷりSkypeやiChatでお話できました。最近私はつまらないことでちょっとした問題に頭を悩まされていたのですが、本当の解決のために、この「絶対に私の味方になってくれる」タイプの優しい人々(夫、姉、両親)にはなるべく意見を聞かないようにしていたのですが、なんとなく問題が終結の方向に向かってきたので、昨日ついにそれぞれにお話して、いろいろと納得する結論やアドバイスを得ました。私の愛すべき家族のみなさんありがとうね。

それでその問題とは直接関係ないとはいえ、話をしている上でいろいろと考えたのがタイトルの「本当の国際人とは」ということ。国際的な環境、つまり様々な人種、文化、言語、性別、年齢の人々が集まる環境で働くときにいろいろと大事なことを私はこの6年で学んだし、これからももっと学ばなければいけないだろうなと思ったので、節目としてちょっとまじめすぎるかもしれませんが書き留めておこうと思いました。

まず「『常識』というものは存在しない」ということを強く認識しておく必要があると思います。いろいろと考えてみたんですが「完全にユニバーサルなもの」というものがないのです。コミュニケーションにしたって、態度にしたって、仕事のやり方、人とのつきあい方、どんなことを考えても「絶対にこれだけは全人類共通だ」ということがないのです。例を出すと、日本では上司に「それいいね!」という一行だけのメールを送ることは「常識はずれ」かもしれませんが、国際的環境ではあり得るし、決して失礼ではないことかもしれません。日本であまり知らない異性の同僚を下の名前で呼び捨てで呼ぶことは「セクハラ」に近いかもしれませんが、当然、国際的環境ではそれがある意味「常識」になり得ます。イタリア人の同僚は同性でも異性でも、挨拶するときは両ほほにキスしますが、そんなことをアラブ系の異性にしたら「信じられない暴挙」と思われる可能性が高いです。

原則としては、もし私がどこかの国に行ったら、その国の常識、言語、文化を尊重する、日本に誰かを招くなら、日本の常識、言語、文化を説明して分かってもらうようにする、ということで、多分これは「2国間」ということだけを考えるとしごく普通のことなんですが、これが、「国際機関」といういわゆる治外法権的な「何の国にも属さない」ところになると大変難しくなります。どっちの文化、言語、常識を選ぶか、というのはラインを引くのがものすごく大変なのです。

そこで大事なことは、「とにかく何でも理解しようと心がける」ということだと思います。誰かが「私にとって」常識はずれでとんでもない言動をとったとしても、「もしかしたらこれは文化の違い、育ちの違い、言葉の違いかもしれない」とまずは考え、全てを前向きに考えるように努力するということです。これは口で言ったりこうして書いたりするよりはるかに難しいことです。悟りを開いたお坊さんのイメージトレーニングで必死で自分を落ち着けて考えなければならない時だってたくさんあります。人間は(というより「私は」かもしれませんが)「他人を理解する」よりも「自分を理解してほしい」生き物だと思うんです。ですがここはひとつひと呼吸ついて、この世界に「常識」は存在しない、まずは違いを受け入れよう、他人を理解しよう、と考えることができると、本当の国際人に近づけるかなと思います。

次に大事なのはコミュニケーションですが、もちろん、コミュニケーションには言葉と態度とあります。態度は上の「常識はない」というところに共通すると思うのでここでは言葉にしぼりますが、国連では「国連の正式言語」というのが決まっていて、英語、スペイン語、フランス語、アラブ語、中国語、ロシア語の6カ国語です。基本的には英語、スペイン語、フランス語の3つのうちどれかが完璧であり、さらに上の6カ国語のどれかが第2言語として仕事上使える状態でないと国連職員としてつとめるのは難しいとされています。ですが、私が思うに、現状を見る限り、やっぱり英語です。しかも、単に「英語ができればいい」のではないのです。

まず英語が母国語の人も、英語が母国語でない人も、「自分の英語は相手の英語と違う」ということを常に認識する必要があります。イギリス英語、アメリカ英語だけをとっても全然違う表現があるし、イギリスでは悪い言葉を使っても「まぁ気品がない」と眉をひそめられるだけの時がありますが、アメリカでは仕事上悪い言葉を使うと最悪の場合解雇されることがあります。これは言葉を超えた文化の違いです。国際機関ではいろいろです。常に悪い言葉ばっかり使うカナダ人もいます。東アフリカンの人々は英語で公務を行うため英語が堪能ですが、アフリカの英語です。日本人の英語、という種類も存在するのは当然です。基本的な考え方がそれぞれの国の環境、個人の生まれ育った環境、受けた教育の種類によって全く違うわけですから、それが言語に現れるのは当然のことなのです。

まず、英語は上達に上達を心がけることにこしたことはないと思います。私もアメリカに10年近く暮らし、国際機関で働いて6年になりますが、それでもまだ毎日のように英語を磨いていく必要を感じます。そして「私は英語は完璧にできる」というおごりは、国際的環境での摩擦を引き起こしかねないと思います。なぜかというと、国際的環境での仕事は、「理想」の社会とはかけ離れていて、重く厳しい「現実」の社会だからです。

その「現実」とは、英語を母国語とする人もしない人も、全ての人の英語が完璧でない、ということです。ものすごくキツいアクセントが入ってしまう人もたくさんいます(ラテンアメリカ、日本、中国などはそうです)。でもよっぽど全く分からない限り、誰も「あの人アクセントが強くて何を言ってるかわからない」とは言いません。言う人は「自分の、Non-English Speakerの英語を理解する能力がない人」なのです。「分からない人が悪い」のです。「分からなければ何度も聞き返さなければならない」のです。「あなたの英語わからない」と文句を言うのはナンセンスなのです。これは厳しい現実です。

数年前私は日本人のインターンの方を受け付けて、非常に頭脳明晰で英語も上手な日本人だったのですが、その方は「あの人の英語が分からない」「この人のメールのグラマーがめちゃめちゃで意味がわからない」といつも私に言ってきていました。もちろん、その件の外国人の上司はアクセントがきつい人だったので理解するのが難しいのは確かですが、その人が言っていることの「本来の意味」を理解するのはそんなに難しいことではないはずです。分からない時はその場で「それはこれこれこういうこと?」と確認すればいいだけだから。相手の英語のレベルがどうであれ、相手を理解しようという気持ちを持って真摯な態度で対応する必要があるのです。

ですから言語や言葉のコミュニケーションの上での「本当の国際人」とはつまり、英語が苦手な人の英語であっても理解できる、あるいは理解しようとできる人、ということ。国際環境での「英語力」というのは「読み、書き、話し、聞き」よりも「理解」のほうが重視されるということです。相手がパーフェクトな英語ができるようになるまで待っていたら仕事になりませんから。

ですが、やっぱり英語が出来ない人との仕事はかなりストレスがたまります。そういった意味で、少なくとも自分だけは、そういったストレスを相手になるべく与えないようにしようと努力しなければいけない、ということで英語力を毎日磨く必要がある、と上の方に書いたのです。自分ばっかり努力しなければいけなくて不公平に感じるかもしれませんが、そんな方は1930年代の名著、人を動かす(D. カーネギー)を読んでみてください。なぜ自分ばっかり努力することで(そして相手に変化を要求しないことで)いろいろと問題が解決するかが見えてくると思います。実際にはものすごく難しいですけどね。感情のコントロールなど、私を含め不得意な人は(女性には特に、かもしれません)多いかもしれないので。

そして優しくあろう、と常に心がけること。私もついイライラしたり、不平等や理不尽なことにぷんぷんと腹を立てたり、「正義がいつも通る訳ではないのね」と幻滅したりすることがよくありますが、本当にいろいろな状況を経験して、いろいろな人と出会って、理解しようとして、つらいことや楽しいことを経て生きて行くと、残念ながら世界は、世の中は、すべて不平等で理不尽で正義が通りづらいところなのだという現実に気づかされ、それを解決するのは、ただひとりひとりの人間の「目の前にいる人への優しさ」しかないと認識すると思うのです。結局目の前の人、同僚、上司に優しくできないひとが、国際機関の人道的援助という大きな名前のもとに行う「優しい援助」というのができるわけがないのです。

ということで、どんなイヤな人が上司、部下、同僚、友達、知り合いであっても、自分だけはその目の前の人を理解しようと心がけ、優しくしようとすることが出来る、という人が「本当の国際人」ということですね。そんな人世界に何人いるんでしょうか。道のりは険しく遠いですが私も精進します。

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Chiostro del Bramante今日は同じ職場に勤めている数少ない日本人のうちのひとり、Mちゃんと一緒にブランチに行ってきました。場所は私がここでも何度も大好きだと言い続けている、キオストロ・デル・ブラマンテ(ブラマンテの回廊)。まずは観光客で一杯のナヴォーナ広場で待ち合わせして、てくてくと歩いてキオストロまで行って、ちょうど「Gli Orientalisti. Incanti e scoperte nella pittura dell'800 italiano」と銘打って、1800年代のイタリア人画家が描いたオリエント(今で言うアラブです)のエキシビジョンをやっていたのでまずはチケットを買って、それから花より団子でカフェテリアへ直行。おしゃれなビストロカフェでランチにしたのでした。私は温かいさやいんげんのスープとパン。Mちゃんはオムレツをいただいていました。フルッティ・ディ・ボスコがのったチーズケーキがあったので二人ともそれをデザートに、紅茶まで。このチーズケーキ甘くなくて絶品でした。最高。

お腹が満足したのでさっそく下に降りて行って、約2時間ほどかけて展覧会を見てまわりました。「よっぽどアラブにとりつかれていたんだね」というような作品や「これはどうなの?」と素人目にはうつってしまう作品もありましたが、中にはハっとするほど生き生きとアラブの女性の魅力を描いた作品もあっていろいろと考えさせられました。ひとつ、お嬢様風の女の子が素敵なドレスを着たまま、カウチに足を投げ出すように座って夢中になってなにか縫い物をしている横で、その召使いのような同じ年齢くらいの女の子がしっかりと座ってやっぱり刺繍のようなものをやっている、という絵があって、それが今にも動き出しそうで、一人の女の子が糸を引っ張って、私は終わったわ、あなたは?というような動きをする錯覚に陥りました。私は美術のことはよくわかりませんが、こういう風な自分の想像が勝手に広がる絵に出会うと本当に嬉しくなります。もしかしたら夢に出てくるかもしれない。

あと、風景画の空がすべてどれを見ても青くないので、そうだよね、と思いました。アラブの空ってヘイジーです。砂のせいでしょうね。

見終わって外に出ると、写真のようにもう真っ暗になっていました。私の大好きな回廊部分もライトアップされていて本当に美しいです。フレスコ画も残っているし、床の部分も幾何学デザインが秀逸だし、本当に素敵なところです。

このあとパンテオンの近くに用事があるというMちゃんと一緒にパンテオンまで行って、ふと思い出して私は近くのサンテウスタキオのバールに行ってコーヒー豆と「コーヒーのキス」という名前のついたコーヒー豆のお菓子を買ってきました。豆はうちの旦那様へのお土産で、お菓子はいつも家に置いておくと友達が来たときに喜ばれるのでゲスト用置き菓子として。それからルンゴテベレに停めておいた車でブーンと帰ってきました。楽しい土曜日でした。明日は何をしようかな。

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本棚にクリスマス

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Waiting for the Christmas週末に、今年もクリスマスまでカウントダウンして楽しもうと思って、バカラのツリーと、お気に入りのペンティックのトナカイオブジェクトを出してきて本棚の真ん中に並べ、クリスマスカードを飾り付けました。これだけでクリスマス気分が盛り上がるので不思議です。一人暮らしの寂しい日々にはあまり変わりはないんですけどね。

アメリカに住んでいた頃は、11月は感謝祭モードに入るので、今年は七面鳥の代わりに鶏肉を丸ごと焼こうか、パンプキンパイはどうしようか、レンティルを煮ようかスープにしようかと、体の暖まる食事のことばかり考えていたように思いますが、ローマでは感謝祭はあまり大きな行事ではないし、一人暮らしだとお料理にも気合いはあまり入りません。そのかわりに12月のクリスマスに向けて気持ちを高めているというわけ。

日本はライトアップがきれいですよね。どんな国よりキレイな気がします。今年はどんなクリスマスになるんでしょうか。家族、友人のみなさま、今年もクリスマスカード受け付けています(私も送ります)。職場ではなく自宅の住所でよろしくね。

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Zen garden in Garbatella (!)週末に、私の住むエリア、ガルバテッラの一画に「日本庭園ができた!」という話を聞いて、いったいどういう感じなのかなと思っていたんですが、かわいらしい、そしてある意味イタリアらしい石庭が完成していました。ここは都市型農業とでもいいましょうか、コミュニティー菜園がつくられているところで、そんな一部にこうして石庭を造ろうと思った人がいるなんて、と思ってちょっとびっくりしましたが、なんだか微笑ましくて良かったです。

何に関してでも、思い立って行動して実現するということは難しいことだと思うので、こうして地域でまとまって、そして何かを信じて頑張る人々を見て、イタリアの底力を見た気がしました。

そして私も菜園にサインアップしてきましたよ。日本からネギやシソなどの種を買って持ってきたので冬が始まる前になんとか植えたいと思います。私のバルコニーガーデンも今は暖かさが戻ってきたのでなぜだか花盛りです。昔は植物は数日で殺して来たプロフェッショナルキラーの私でしたが、こうして植物と共に生きることを覚えて行くのねと感激し、水やりをしながら近所の教会から聞こえてくる鐘の音に異常なほど癒される毎日です。

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