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オレゴン・コースト

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Canon Beach先日アメリカに行ったことはもう書きましたが、Aさんと私にとってオレゴン州は住んでいたワシントン州と同じくらい思い入れの深い州で、実はものすごく近かったアイダホ州とはまた違った意味で思い出がたくさんあります。今、遠く離れたローマに住んでいて、アメリカを恋しく思う時に浮かぶ情景は、ワシントン州東部のただただ広がる麦畑やレンズ豆畑と、視界の90%を占める青い空であることが多いのは確かなのですが、ふとした瞬間にポートランドの街角や、細かい波しぶきに覆われたオレゴンの浜辺の町が浮かぶこともあるので不思議です。クレイター湖の信じられない程透き通った湖面や、映画「スタンド・バイ・ミー」の舞台になった小さな西部っぽい田舎町(ブラウンズビル)、そしてこの写真のキャノンビーチをはじめとした延々と続くオレゴンコースト。ワシントン州の太平洋側のビーチは個人所有が認められる部分ができてしまったということで勝手に入れないビーチがわりとたくさんあるらしいのですが、賢いオレゴン州はこのオレゴンコーストすべてを州の持ち物としたため、すべてが公共のものとなっています。この写真の景色を楽しめるEcola公園は州立公園となっていて、入場料を払って意外に深い森を抜けて、きちんと管理された駐車場に車をとめてからゆっくり散策できるようになっています。1998年くらいにAさんと一緒に来たときも全く同じ感じで、ちょっと展望台がキレイになっていたり、自然そのままだった場所(ちょっと危ない)が立ち入り禁止になっていたりしたくらいで、何も変わっておらず、そういうところが、何というか、アメリカの偉大さというと大袈裟ですけどそんなものを感じました。

Menzanitaキャノンビーチのダウンタウンもそれなりにリゾート地で楽しいのですが、今回は私たちは1998年にくらべるとずっと遥かに大人になってしまったこともあって、そこからちょっと南に下ったところにあるもっと小さなリゾートタウン、Manzanitaに泊まることにしました。今回のManzanitaでの目的はただひとつ。「できるだけ何もせずすごす」こと。

写真はManzanitaの中心から海に向かって歩くと必ずぶつかるオーシャンロード。町の中をどんなにがんばっていろいろと歩いても1時間もかからずにすべてを見てしまえるほど小さな町ですが、私たちは滞在の2泊3日中、自分たちでも呆れるほど全く飽きずに何度も何度もこのオーシャンロードまで歩いて、美しいオレゴンコーストを満喫しました。

Manzanita今回はManzanitaの静かな2階建ての小さなキャビンを借りて、近くのグロッサリーで食材を仕入れてのんびり、という2泊3日を想定していたのですが、写真が借りたキャビンです。この写真では全く伝わらないと思うんですが、このキャビン、とにかくなにもかもが至れり尽くせりで、興味がある方は写真をクリックしてFlickrの写真をちょっと見てみてください。まずチェックインでかわいらしい竹林の中をオフィスまで歩くとシャルドネでウェルカムしてくれて、テーブルにはフルーツ、チョコレート、そしてS'moreキット。なぜS'moreキットがあるかというと、キャビンのすぐ外にはプライベートのファイヤーピットがあるからなんですね。外にはプライベート空間に完全温度調節されたジャグジーもあっていろいろな色に光るそのジャグジーで星空を見ながらのんびりできました。ちょうど中秋の名月も拝めて本当にお天気もよくて最高でした。ベッドのかたさも丁度よくて羽布団も最高で、ジャグジーのあとにもぐりこんでふたりとも5秒くらいで眠りに落ちました。

Manzanitaキャビンの横にはアウトサイドベッドもあって、そこでもビーチでも使えるビーチタオル(レストレーションハードウェア)も完備されていて、部屋にあるコーヒーマシン(コーヒー豆も完備)でコーヒーを煎れて、こうして外にごろんと寝転んで読書したり、ハイスピードのワイヤレスでのインターネットでM伯父さんがプレゼントしてくれたNetflixの映画をストリーミングで楽しんだりできて、本当にパラダイスでした。部屋にはかわいらしいボーダーのビーチバッグまで下がっていて、使うことはなかったけれど傘もしっかりおいてあって、本当にここのオーナーさんは何から何までいろいろと考え抜いたんだな、ということが伝わってきて感激しました。ということで教えたいような教えたくないような、この素敵なキャビン、自分が忘れるのが一番嫌なので書いてしまいます。Coast Cabinsさんです。とにかく何もかもが完璧でした。次にオレゴンコーストに行くなら絶対にここにしたい、と思えるほど。

Manzanita朝食は近くのベーカリー(「パンと海」という名前のお店でした)まで行って、まぶしい朝の光の中、外のテーブルで懐かしいアメリカンシナモンロールです。その近くにはコーストでは有名らしい大きなピザ屋さんもあって、毎日大繁盛していました。私たちも最後の夜にはそのピザ屋さんでテイクアウトしてお部屋でピザをいただきましたが、今現在ピザの国に住む私としては大発見でした。つまり、アメリカのピザは、これは当たり前だけれど、イタリアのピザとは全く別の進化を遂げた後、それはそれで強烈に美味しい食べ物になった、ということです。ピザの生地の部分はなぜか甘いパンとなり、具のオリジナリティも感動的ですらあります。ランチには部屋でツナメルトサンドイッチにキャロットカップケーキを用意して、とにかく「アメリカらしさ」にひたりながら「ひたすら何もしない」に徹しました。なんという贅沢。

Menzanitaそして何度も何度も飽きることなく行ったビーチへの散歩(サンセットの時間も幻想的でした)。ウミネコたちと戯れたり、歩いている人たちとあいさつをかわしたり(今頃気づきましたが、アメリカ人ってヨーロッパの人にくらべて異常な程親しげに話しかけてきてくれて嬉しいですね)写真をとりあったりと、本当に素敵な2泊3日となりました。お天気も滞在中はずっとよくて(珍しいです)、暑くもなく寒くもなく、風も適度に吹いていて、これ以上は望めないと思いました。

Aさんと私は2002年に結婚してすぐの秋にオレゴン旅行に行って、その次の年にも記念旅行のような形でオレゴンに行って、こうして人生は思った以上に波乱に富んだ形で進みましたが、2013年にまたオレゴンに行けて、こうして変わらずに存在するオレゴンコーストのビーチを歩いてみて、いろいろな意味で私たちはさまざまな人々に助けられ、支えられて生きているなと実感できて良かったと思いました。本当なら私たちの年齢ではもう様々な人を助けたり支えたりして生きていかなければいけないような状態なので、実は情けないのですが。

一緒にPullmanに旅行したV&J夫妻からのメールの最後に「あなたたちと過ごした時間は充実していたのに夢のようでした。私たちも昨夜クープビルに到着しました。旅行鞄にはランドリーと、思い出をいっぱいつめて帰ってきましたよ。今日のお昼には、ランドリーはすっかり洗ってしまいましたが、思い出はずっとこのまま残るでしょう」と素敵なことが書いてありました。その瞬間感じた本当に純粋な感謝の気持ちを、忙しい日々や仕事のストレスにかき消されることなく持ち続けるにはどうしたらいいのでしょう。私に今できることはこうしてその気持ちをなんとか書き留めておくことだけなのです。

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カプリでカント

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Capri職場の日本人の知り合いの方(Kさん)に誘っていただいて、先週末はカプリ島に行ってきました。相変わらず海が青いカプリです。写真は前回のリベンジを果たした形になった青の洞窟。青の洞窟は1回行けばお腹いっぱいです。綺麗ではあるんですけどね。「本物なのにかもしだされるつくりものっぽさ」と「途上国っぽいギラギラした観光地っぽさ」でいえば、私はアマルフィ側にあるエメラルドの洞窟(グロット・デッロ・スメラルド)のほうが謙虚な感じがして好きかな。

たまたますごくお天気が良くて、夜は満天の星空となりました。実は土曜日に泊まったB&Bのアントニオさんにお勧めされて、ランチをDa Gelsominaというところでいただいたのですが、テラスは綺麗だし、絶景ポイントが楽しめるお散歩コースがあったりしてとても良かったんですね。そんな絶景ポイントのひとつに唐突に大きな岩があって、ふと見るとマヨルカ焼きのタイルが埋め込まれていました。

Capriなにかの墓標かしらと思って見てみると、意外にも何故かこのカントの有名な一節。私は中学生のときに初めてカントに触れてから、なんとなく彼のお説教くささが苦手で、「こうあるべき」「こうするべき」といわれると、たとえそれが真実だとしても思春期特有のアレですけど反抗したくなってしまって、教科書にのっていた彼の下唇をつきだした赤ら顔さえ苦手でした。そんな彼のこの一節。私の当時の幼稚な理解では、「世の中知らないことだらけ(だから興味深い)」という意味になりはてていました。いや、しかもそのままこの年になるまで同じ理解だったんですね。でもその夜、Kさんがお風呂に入っているときにテラスに出てみて見上げると、満天の星空。

私たちは地球から見た状態で星座を作ったりお話を作ったりして星空を楽しむけれど、その正体は巨大な岩だったりガスだったり人間が生きていける状況は皆無だったりするんですよね。しかも同じ星座と思ってもその星同士は地球からの距離よりずっと離れていたりして、いかに私たちが「一面」しか見ていないかを思い知らされます。横から見たらどの星が何かなんてさっぱりわからないでしょう。そして話が飛ぶようですが、最近ニュースでも話題のいじめ問題ですが、いじめの定義は、本人が「いじめられている」とおもったらいじめということみたいですね。そうでしょうね。いじめている方の自覚は関係ないでしょう。うまくいえないけど、そういうことかな、とふとおもいました。星空が、今私が見ているように存在している、ということではなくて、存在しているなにものかが、今私からはこのような満天の星空として見えている、ということなのかな、と。私の中の内なるものは、こうしてまるで無関係に存在しているはるか遠くの何かと、実は非常に近いのかもしれない、と、私は急に思いました。カントさんがどういう気持ちでどんな意味を込めてこれを書いたのかは分かりませんが。

いやまさかカプリでカントについて考えるなんて面倒なことをする羽目になるとは思っても見ませんでした。今度行くときはもっとリラックスしてゆったりしたいな。

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