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久しぶりのブータン

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Zhiwa Ling Hotel, Paro, Bhutanバンコクから乗り継いで到着したのはブータンだったのでした。今回は空港のある町、パロで会議に参加させていただいています。ブータンは相変わらずとても美しく、地に足が着いた国という印象です。会議の内容を聞いていてもそう思います。確かにいろいろな面で開発途上ではありますが、「開発とは何か」という、私のいる業界では気恥ずかしいような根本的な疑問が毎日のように心に浮かんでしまう不思議な国です。

さて写真はホテルの中です。私は3階のお部屋なのですが(お部屋からの景色はこちら)その階の回廊の端にあるシーティングスペース。先に転がっているのは昔ながらの柱だそうです。ホテルのいろいろなところに大きな昔ながらのお米の貯蔵箱や、今も村などで使われている大きな銅の水桶などがインテリアとして使われています。私は実はこのホテルは2回目で、なんだか懐かしい気すらします。2006年からの友人達も相変わらずで、まるで昨日まで一緒におしゃべりしていたような気がするくらい。

ブータンは日本と同じような感じの梅雨の季節に入っていて、朝はスッキリとしていますが朝食後くらいの時間からしとしとと雨が降り出します。風はなく、雨足も強くないので、部屋の窓からじーっと見ているだけで、音を聞いているだけで、かなり癒されます。

今回はいつも仕事をしている政府の機関のひとりがゲスト一人ずつについてくれていて、いろいろな面倒をみてくれることになっています。私についてくれたのは若くて驚くほどハンサムなのに、ブータンの中でも田舎の田舎である人口50名ほどの村から4年前に出て来たばかりというとても大人しくてハンブルな(日本語がわからない、と思って今グーグル先生に聞いてみたら「つつましいさま」だそうです)男の子でした。私があまりにも何も頼まないので「何か頼んでくれないと仕事してないみたいだから困ります」と毎日言ってきてくれます。でも頼むことがないので仕方ないのです。でもせっかくだから最後の日には一緒に写真でもとって、今は北海道出張を満喫中のうちの旦那さまに自慢してみようかな。シュリン(グ)という名前の彼の家は標高4,000メートル近くある山の中にあるそうです。富士山より高いとは。酸素は薄い?と聞いたらやっぱり地元の人はそんなの分からないとのこと。お客さんは時々具合が悪くなったりするそうです。慣れていない人はあんまり息が上がるようなことはしないほうがいいらしいです。私が今滞在している、パロも標高は2,300メートルくらいあるそうですので私も体調には気をつけたいと思います。

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久しぶりのバンコク

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Eathai出張のトランジットでバンコク一泊してます。朝の5時に到着して翌日の早朝にまた出発という乗り換えスケジュール。ということで丸24時間バンコクを満喫してきました。写真は最近オープンしたばかりのセンタンチッロム(とみんなが言っているように聞こえるだけで、本当はCentral Chidlom)の地下にある、イータリーならぬ、イータイ(Eathaiと書きます)にあったジュース系のカート。最初にバーコード付きのカードを受け取ってそれでどんどん注文していくと、席に着くころにはいろいろと運ばれてくるという仕組み。久しぶりに叫ぶほど辛くて美味しいパパイヤサラダ(ソムターム)をいただきました。いやぁ、再洗礼です。タイ、辛い。そしてグリーンカレーやメイズチャーハンなどをいただいて、ショッピングして、サロンめぐりして、お茶して、と私が約10年前(!)にここに滞在していたときに楽しんだ日々をまた友人のNと一緒に繰り返したのでした。楽しかった。

Bangkok今回はエアポートリンクの駅が近いホテルにしてみましたが、そこからの風景はこんな感じ。右にホンダ、左に味の素さんと、日系が集中しています。クーデター中で緊張しているかと思いきや、まあみなさんに門限があって、夜9時近くになると人通りもなくなってバンコクでは当たり前の渋滞もまったくないのがちょっとヘンテコに感じるだけで、人々は普通に暮らしていて、相変わらずのバンコクという感じ。政治的に不安定なのはやっぱりみなさんも心配みたいだけど、いろいろと複雑な思惑が交差していて、タイの人々がまっぷたつになっているのが悲しいというのが一般的な感情のようです。

というわけで次の目的地に向けて出発してきます。

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ウィーンより

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お部屋にあったおみや短い出張でウィーンに来ています。久しぶりのウィーンは、大雨。寒いし。今回は珍しくプライベートセクター(日本語がわからない民間部門、だそうです)の総会へのお呼ばれ出張で、3月に私がやった会議の結果などをお話するというものでした。いつもはどこかの国の政府の方と会議をしたり、どこかの国際組織と協力したり、というような仕事が多いのでこうして企業系の人々とお話するとその違いにハっとします。そしてホテルにチェックインしたら、お部屋には当たり前のように会社の試供品などがお土産としててんこもりに置いてあり、メッセージカードと共に、今回はプレゼンターなのでさらにこのおしゃれキャンドルまでどーんと置いてありました。すごいです。私はシヴィルサーヴァント(公務員)なのでこういうお土産のやりとりはかなり微妙なのですが、前回チェックしてみたところ、私の組織の場合だと、100ドル以上は基本的にもらってはダメで、はっきり断らなければいけないそうです。お土産文化の国だと申し訳ない気持になっちゃいますね。で、100ドル以下の場合は多数の同僚とシェアできるもの、オフィスで使えるものならおとがめなし(つまり完全に個人のものにしてしまわないならOK)ということだったので、食べ物系(試供品)はオフィスに帰ってからみんなに分けるようにするとして、キャンドルはオフィスで使うとちょっと迷惑そうな気がしないでもないですよねぇ。どうしよう。Jo Maloneって100ドル以上じゃないですよね?60ドルくらいだったような。でもオフィスメイトのCに聞いてみようと思います。それでオフィスでキャンドルを使うのはやっぱり迷惑ということになったら、あとは多分オフィスで引き出しの肥やしとなって終わるのかも。ああもったいない。でも気持がありがたいのでとりあえず持って帰ります。でもお土産は別としても、メッセージカードってやっぱり嬉しいものですね。ホテルの部屋に緊張しながら入った時にカードを見つけるとほっとするし嬉しくなります。

さて、会議は今日のうちに終了したのですが、明日は出席者の方とより身近にお話をするために、ソーシャルプログラムに参加してほしいということでした。土曜だし「いいよー」と簡単に請け負ったんですが、良くプログラムを見てみると、Schonbrunn Palaceに行って、Cafe ResidenzでランチをしてBelvedere CastleでKlimtのエキシビジョンを見るという、ありえないフル観光スケジュール。大雨予想なのに。ソーシャルプログラムが嬉しくないわけはないんですけど、出張のときって知り合いが一人もいない状態なのでちょっと心細いんですよね。やっぱり観光は自分が仕事モードじゃないときにやりたいな(心の声)。

追記(2014年5月19日):今日、ふらふらと毎日新聞を見ていたらこんな記事が:「ワールド・トレジャー:特派員が選ぶ私の世界遺産:シェーンブルン宮殿(オーストリア・ウィーン)」。なんだかセレンディピティ?

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出張もちょっと落ち着き(といっても今週もまた金曜日から出張ですが)、ローマで毎日せっせと地味に仕事しています。今日はちょっといろいろと考えさせられたことを書きとめておこうと思って書いています。というのも、これから書くことに私個人の結論が出ていないので、もうちょっと時間が経ったときに自分はどう考えるのか非常に気になったので。

以前に何度も書きましたが、国際機関で働く私の環境は良い風に言えば「国際的」で逆に言うと「価値観バラバラ」です。価値観がバラバラというのは、別に良いことでもなく悪いことでもありません。価値観がみんな同じ、というのがよくも悪くもないのと同じです。昔は同じような環境で生活してきた人というのは同じような価値観を持つものなのかなという意味で、同じ文化圏の人、例えば日本人同士などだと価値観は近づくものかなぁと思っていました。でも多分そんなことはないですね。まったく違う宗教、文化、生活環境、趣味、などなどであっても、価値観が近いという人はいるものです。そして同じ宗教、文化、生活環境であっても価値観が違う人はいると思います。たとえば家族など。私はたまたま私の姉が大好きなので仲良くしたいのでベッタリですが、価値観が同じかどうかと言われるとうーん、という感じです。どちらかというと、姉のことが好き過ぎて、私が姉の価値観に追従するので同じような価値観になっているという状態だと思われます。兄弟姉妹で価値観が全然違うという人々もたくさんいることでしょう。

また当たり前のことを書きますが、「仲良し」というのが価値観が同じということではないのは当然ですよね。私にはローマには本当に頻繁に会ってひたすらしゃべりまくる友人が3人いて、イタリア人のA、ルクセンブルグ人のC、リトアニア人のDなんですが、みんなの価値観が同じとは到底思えません。でも3人とも本当に個別にですが仲良くしてくれていつどんなに長い時間を一緒に過ごしても全く飽きることなくずーっとおしゃべりできる友人です。で、価値観が違うのになぜ仲良くできるか。それは相手を尊敬・尊重しているのと同時にその相手のことが多分好きだからですね。好きだと相手がどんなに違う人生を送っていても、どんな考えを持っていても、おおらかな気持ちで「へぇそうなんだ」と受け入れることができるからだと思うんです。それぞれ全く違う宗教や人生観を持っていますがお互いのことを違うからといって「それはこうあるべき」という話は全くしません。だから居心地いいし、好きだと思えるし、一緒に過ごす時間が充実するんだと思います。

ところが最近職場の知り合いの日本人の女性(複数)とお話していると「(大人の)女性は化粧せずに外にでるべきじゃない」という話になりました。言ったのは相手の複数の方です。調べてみるとどうやらこれって日本では多数派みたいですね。考え方としては「(大人の)女性のすっぴんなんて誰も見たくないのに、見せるべきではない」という感じなんでしょうか。見苦しいものをみせるな、という。で、そこで思うんですが、年齢を経た女性のすっぴんって「見苦しいもの」なんですか?すべて私の主観ですが、上に書いたイタリア人のAなんて50歳近いですけどすごくスポーツを楽しむタイプで、いつもさわやかな素顔(すっぴん)です。とっても素敵です。Dはママですがいつもキレイにお化粧しています。彼女もいつも美しい人です。Cもアラフォーのママですが私はCがお化粧しているのはこの2年間で3回くらいしか見たことがありません。ほぼ毎日会っているのに、です。でも彼女はすっごくキレイな人です。私は3人ともすごく魅力的な人たちだと思っています。現実問題よくモテます。みんなパートナーがいますが。男の人はどうなんでしょう?お化粧なんてしませんよね。それはいいんでしょうか。30代や40代の男性になるとやっぱり肌は10代20代とは違いますよね。どっちがいいかは人に寄ると思いますが。それはそれで別に「見苦しい」ということにはならないんでしょうか。女性だけが「見苦しく」なるんでしょうか?化粧をしないなんて「常識はずれ」ということになってしまうんでしょうか。

私の今の段階の結論は、お化粧はしたい人がしたい時にすればいいんじゃない?という感じです。誰から強要されるものでもなく、社会のためにするものでもなく、ただひたすら自分のためにするものだと思いたい。私も化粧するかしないかでいえば、化粧する日の方が多いです。が、肌が乾燥しすぎて荒れているときなんかは保湿と日焼け止めだけ塗って出かけることも少なくないです。ファンデーションなんかつけると逆に肌の調子が悪くなりそうだから。でもそれはすべて自分のため。別にすっぴんでも自分が「見苦しくない」と思っているわけじゃないです。だから社会的に「(大人の)女性は化粧せずに外に出るべきじゃない」と言われると非常に抵抗を感じてしまいます。人のことや社会のことを考えて化粧するかどうか決めるなんて、ちょっと前後しますが下の方に書いたイスラム圏の話をチラっと考えてしまいます。

また「(大人の女性は)膝上のスカートをはくべきじゃない」という話も出ました。これもなぜ?という感じだったので聞いてみるとやっぱり「キレイでもない脚を見せるのは他人に迷惑だから」とか「年齢相応じゃないから」という非常に社会的な理由でした。年齢相応って誰が決めているんだろう。イタリア人のおばあちゃんたちはピンクのミニスカートでピンヒールで歩いていることも良くありますが私にはすごく素敵に見えます。それは年齢相応じゃないってこと?歳をとったからそういう好きなものを買って着れるということはないんでしょうか。似合えばなんでもいい、という人もいますが、なんで似合ってなかったらダメになるのかが分からないです。ほっとけばいいじゃないですか。すごく親しい友人だったら「もっと似合うものがあるんじゃない」くらいの助言はするかもしれませんが。

だから私の現在の結論は誰でも好きなものを好きな時に着ればいいんじゃない?という感じです。それが時として場にそぐわないことはあると思います(仕事の場など)。そのときはその人はそれなりのソフト制裁を受けてしまうんじゃないでしょうか。それはそれでその人が選んだ道。他の人が「あの人おばさん(おじさん)なのにあんな服着て」と言ったりするのは単なる悪口なんじゃないかと思ってしまいます。それぞれ着たい服を着て、したいファッションをすればいいと思います。もちろん裸で歩いたりするのは犯罪なのでダメですけどね。とりあえず法律の範囲の中で。

だってイスラム圏の厳しいところでは女性は(老いも若きも)髪の毛を出してはいけないというところがあると思います。その理由は「過剰なセックスアピールだから」です。でもそんな法律に対して、なんてバカバカしい、と思うのは実は偏った価値基準なんですよね。その社会ではそういうことになっている。だから法律があったり、守らない人には社会的制裁があったりするんですね。今世界のほとんどの国で裸で歩いたりするのは法律でダメとなっていたりしますが、それはそれでその社会ではそこがラインなんですよね。私は別にヌーディスト賞賛しているわけではありませんが、裸でもいいよっていうビーチで裸の人を悪く言ったりはしませんよね。それと同じです。その裸がキレイだろうがそうでなかろうが、別にどっちでもいいです。洋服だって似合ってても似合ってなくてもどっちでもいいです。好きなものを好きなときに着ればいい。

でもまぁ、勝手な話ですが私も私で、この考えが当てはまるのは私以外の人の場合だったりしますね。誰が何を着てようがどんな化粧をしようが(しまいが)実際本当にどうでもいいです。私はそんなことでその人を判断したりしません。臭かったり不潔だったりするのはイヤですけど。で、自分はどうするかというと、やっぱりうっかり私はその社会の雰囲気についつい合わせると思います。日本では多分ほぼ毎日化粧して、露出は少なめで、という感じにしてしまうでしょうね。なぜかというと一緒に歩く夫は純粋な日本人で日本の社会で生きている人なので、なるべく目立たないようにしたいから。だって日本のようにそういう価値観が大多数の(年齢相応にすべきという)社会だと、うっかり「悪口」を言われちゃうじゃないですが。悪口できれば言われたくないじゃないですか。しかも彼までも言われるかもしれない(奥さん変な格好だね、とか)。こんな風に書くとまるで彼のためにというように見えるかもしれませんが、めぐりめぐって結局は自分のためです。でもイタリアではもうちょっと自由です。日によって化粧したりしなかったりだし、可愛い靴を買ったときは短めのスカートを着たりするときもあるし、すごく暑い日は耐えられなくてノースリーブを着たりします。別にそれが自分に似合うと思っているからじゃありません。そういう服が着たいから、あるいは好きだからです。アメリカではほぼ毎日ジーンズでした。大学スウェットとかも良く着てました。楽だったし好きだったからです。それが良いか悪いかとかは別に問題ではありませんでした。人のことをおしゃれだとおもったりダサいと思ったりすることはあってもそれを口に出したらそれって単なる悪口ですよね。

そして髪型についての話にもなりました。その日本人の方いわく「大人の女性がストレートロングでおろしておくべきじゃない」そうです。正直ちょっと怖いと思いました。心の底から、「なぜ」なのか分からないからです。なぜ?と聞くと「若い女性とはちがうんだから年齢相応に」とか「おばさんになると髪の質が変わって美しくない」とか言っていました。それは主観では?と思うことばかり。髪の毛の質が美しくなくても、若くなくても、別におろしていてもいいじゃないですか。その人が好きでやっていることだと思うんです。まとめておくと髪の毛の質が良くなるとでもいうのでしょうか?不思議です。私は気合いを入れて髪の手入れだけはやっていますが、別に年取ったからじゃありません。髪の手入れが好きだからです。そして絶対他人のためにはやっていません。100%自分のためだけにやっています。きれいな髪の毛だときっと自分が嬉しいからです。でも髪質の問題で、パサパサになっている人を見て「パサパサだーおろさなければいいのに」なんて言ったりするなんて悪口以外の何でも無いと思うんですがどうなんでしょうか。思ってもいいけどほっとけばいいのに。

でもまぁ、そういう考えがあるというのは良くわかりました。国際機関で働いている日本人にもさまざまな価値観があるというとても良い例です。私は自分が好きな人には「これのほうがいいからこうしてほしいな」とか「こうだったらもっといいのに」とかすごくおせっかいをするタイプで、それで鬱陶しいと思われることがなきにしもあらずですが、自分があまり興味がない人には自分でもびっくりするほど全く何も感じないし、何も言いません。多分何も思わないんだと思います。それなのに「一般的には」とか「常識で考えて」とかいう理由で「これはこうあるべき」という考え方にはちょっと怖さを感じます。でもまぁ私も日々学んでばかりなので5年もしないうちに「やっぱりこれはこうあるべき」とかいう考え方になってる可能性もまったくないとは言い切れません。しかもこう書くことによって「『これはこうあるべき』と思わないべき」と思っているのも実は同じ問題だったりして。ちょっとマトリョーシカみたい。

というわけでこれを残しておき、2020年頃にまた読み返してそのときどんな風に思うかを楽しみにしたいと思います。

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モンセラーテの丘

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Monserrateみなさまゴールデンウィークはいかがお過ごしでしょうか。私はもうローマに帰ってきていますが、ぼんやりと穏やかに過ごしています。ローマは天候が不安定で、1日の中でも雨が降ったり晴れたり曇ったりと、フルコース天気の毎日です。

写真はボゴタのモンセラーテの丘から撮ったボゴタの町。私は今回余裕がなくて治安以外の情報はほとんどリサーチせずにボゴタに行ってしまったのですが、なんとこのコロンビアの首都には800万人から900万人ほどの人が住んでいるそうです。大きな町です。実際のボゴタの治安は一般の日本人(つまり私)が持っているコロンビアのイメージよりははるかに良く、ちょうど良いサイズの都会で、出会う人みんな気持がよいのが印象的です。それほど観光地ではないので、いわゆる「ぼったくろう」「ちょっとだまそう」というような商売の人が少ないという話も聞きました。私が会った人はみんな親切で正直に普通に商売をしているという感じでした。

今ボゴタは雨期だということを聞いていたのでレインコートや傘などを携帯していたんですが、幸運にも一度も使うこともなく出張を終えました。最終日は夕方5時の飛行機だったので、チェックアウト時間の12時までぼんやりして、12:30に職場のコロンビア事務所の所長さんと仕事ランチの予定をいれていたので、それに行ってからゆっくり空港に向かおうかなと思っていたんですね。そしたらホテルの朝食から部屋に帰ってきた8:30に部屋の電話が。なんだろうと思ったらその所長さんの秘書さんからで、実は事務所の運転手がたまたま午前中時間が空いているのでもしよかったらボゴタ観光にお連れしましょうか、というなんという嬉しいお知らせ。「なんてファビュラス」とふたつ返事でさくっとチェックアウトして連れて行ってもらったのが写真のモンセラータなのです。

こんな急斜面を大丈夫?と思うようなフニコラーレ(登山電車)にゆられて到着したのがおだやかな丘の上の真っ白な教会。質素な雰囲気なのがますます良い印象です。丘の上には雰囲気の良いレストランがふたつ(これこれ)。私はひとりだったし(運転手の方はフニコラーレ乗り場の下で待っていてくれました)、ランチの予定が他であったので入りませんでしたがあとでいろいろと調べてみるとかなり良さそうなところですね。晴れていてすごく気持よかったし。景色も最高でした。こうして見ると結構な数の高層ビルがあるのが分かります。

丘からおりてからも、まだ時間があるね、と、ボテロ美術館に連れて行ってくれた運転手さん。こんなに良くしてくれるのも、雇い主である彼の所長さんのおかげなのですが、私の職場はわりとビジネスライクな人が多いところではありますが、ごくたまにこうしてすごくフレンドリーに接してくださる所長さんがいて感激です。所長さんはメキシコ人のとっても背が高くてハンサムなRさん。このあとおしゃれな雰囲気のアジアンフュージョンで素敵なお店の2階を予約してくださっていて、美味しいランチをごちそうになりました。そうそう、コロンビアはとにかく新鮮なフルーツが豊富で、「なにこの果物、見た事ない!」と思うような果物が次々と出て来て感動的です。南米にはあまり行く機会のない私ですが、コロンビア、今まで行った南米(メキシコ、パナマ、ブラジルくらいしかないですけど)でとりあえず暫定1位です。こんなに雰囲気が良くて、都会で、人々も素敵で(美人が異常に多い)、治安も完全向上していて、本当に行かないと分からないことってたくさんありますね。そして当たり前ですがフルーツの他にもコーヒーやチョコレートなど私の大好物が特にとっても美味しかった。また行くことがあるのかどうか分かりませんが、もし機会があるのなら、今度はしっかり事前リサーチしてから挑みたいと思います。良い国、良い町でした。

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