パナマから帰ってきました。会議の最終日の午後に少し時間があったので、パナマとエルサルバドールのカウンターパートが、かの有名なパナマ運河に連れて行ってくれたので、嬉しがりで写真のせます。これは写真がちょっと暗いかもしれませんが一基2億するといわれている牽引車に大きな船が引っ張られているところ。これがひっきりなしに行われています。他の写真も見てみたい方は、写真をクリックしてフリッカーで私のPhotostream見てみてくださいね。それにしても現代の人類の智恵の結晶とでもいえるパナマ運河、100年前のエンジニアリングですが見ると聞くとでは大違い、地理で学んだパナマ運河というよりは歴史で学んだパナマ運河が目の前にどーんとあって、感動というよりは感心しました。アメリカ人ってやっぱり開拓の精神と関連してスケールが違うし、とにかくこんな巨大なことをやろうとするところもすごいし、やってしまうところもものすごくすごいですよね。パナマに返還(?)されたのはほんの10年くらい前だそうです。たくさんの労働力を必要としたため急激な移民と共に巨大な職のニーズを生み出し、アメリカから運んで来た組み立て式の豪華な家が立ち並び、とパナマの独立と発展に貢献したということで、パナマ運河の近くはかなり発展してました。大きな住宅もたくさん。今や国の経済はこのパナマ運河の通行料で成り立っているというはなしも。
そしてクリーシェと笑われそうですが私もパナマの思い出のためにパナマ帽を購入してきました。実際使うかどうかはおいておいて、いわゆるパナマ帽を父に、オレンジ色の女性用のものを母に。ちなみにパナマ帽の名前は作られた場所ではなく、パナマ運河で流通したからついたもので、もともとはエクアドルで作られているものがいわゆる「本場のもの」らしいです。ということでこれはどちらもエクアドル製なことを確認して購入しました。手前にある手作りポシェットはパナマのカウンターパートの女性のお母様がせっせとつくってくれたものだそうです。マグネット付きのお人形もいただいて感激。ポシェットには手書きでPanamaと書いてあってその心遣いにも感激します。そしてタイトルですが、私の世代の皆様なら、「パナマ帽」と聞いた瞬間から鼻歌を歌ってしまうあの歌です。今はなんだかヘンになってしまった玉置浩二さんですが当時はこんな歌を作ってましたね。でもなにより作詞が来生えつこさん。当時の流行歌はほとんどこの方と弟さんがつくった歌ばっかりだったんじゃないでしょうか。風の強いマリーナで私も負けずに白い椅子に足を組んで座ってみたものの(たまたま)、パナマまで来て歌謡曲と中森明菜さんしか思い出せないというのもなんだかアレですね。
今日は家で一日ゆっくりしたのですっかり疲れもとれて、明日からのエネルギーがみなぎってきました。出張は体力的にも精神的にもあまり前向きに行きたいものではありませんが、今回のは良かった。とにかく仕事がうまくいったというのが何よりです。来週からまた頑張ります。